今回の「ラジオ出演」が奇しくも、今年の、充実した仕事始めになりました。
ありがとうございます。
昨年の11月に出演して今回が2度目。少しだけ慣れたかな、という実感があって、気持ち的には落ち着いて、現場入り。ディレクターと顔を合わせて、流れについて打ち合わせ。心の準備をして、いざ、On Air。
始まってみると……打ち合わせの時に、おおよそ、こんなことを喋ろうかな、と用意しておいたんだが、微妙に、というか、かなり、というか、話の方向がずれてくる。内心、慌てているのだが、止まるわけにはいかない。こちらも、こうしたトークというもの、上映会場であれ、テレビであれ、ラジオであれ、エンターテイメントであるべき、という考え方があるので、どうしても、やや過剰にサービス精神が旺盛になってしまう。いかん、いかん、と心の中でブレーキをかけようとするのだが、難しいもんだなあ、これが止まらないんだよな。
話題は「テロリスト宣言」のようなもの。今時、このテーマってけっこうヤバいよね。例によって奥崎謙三の生き様を引き合いに出しながら、持論を展開するのだが、“低空飛行”って感じだ。反感を買うかな、と不安だったが、えーい、ままよ!とばかり、突っ切る。
荻上さんが、ホントに“ノセ上手”だもの。ついつい喋り過ぎてしまう!
「極私的ラジオ論」になるが……。事前の打ち合わせには、荻上さんは参加していない。構成を立てたディレクターとでやる。でスタジオに入って本番になるわけだが、荻上さんは、構成台本を手にしてはいる。が、その通り、というふうには進まない。意図的に外すのか、荻上さんなりの狙いがあってなのかどうか? が多分、構成台本通りに進んだとしたら、終わってみれば、そこそこだったね、となるんだろうなあ。ともかく、外されるものだから、内心、こちらとしては慌てて、武装していないものだから、日頃考えている本音がポロリとでてしまう。いや、批判的に言っているわけではないんです!その面白さを狙っているんだろうなあ、という気がする。それはドキュメンタリーでの被写体との駆け引きと同質なんだと思う。
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