ドキュメンタリー映画の鬼才 原一男公式サイト

原一男facebook
原一男twitter

疾走プロ

疾走プロダクションの“疾走”はどこからきたのか?


「さようならCP」が完成に近づいたとき、「何か、看板みたいなものは必要だよなあ。何かカッコいい名前はないかなあ?」と二人(原と小林)で相談。
色々、案が出たがイマイチ、これだ、というものがない。
その時、「“疾走”というのは、どう?」と小林が提案。
「吉増剛造さんという詩人に「疾走詩篇」という詩がある。彼は、颯爽と“疾走しながら詩を書く!”と宣言。それなら自分たちは“疾走しながら映画を作ろう!と。この“疾走”という語感が、70年代に映画を作り始めた自分たちの感覚にピッタリだと感じた私も、即座に賛成。そういう経緯で、決定した次第。

ちなみに、「極私的エロス・恋歌1974」の場合は、鈴木志郎康さんが「極私的プアプア詩」ということを主張されていた。その“極私的”という語を気にいった小林が提案し、私が共鳴。鈴木志郎康さんに直接お目にかかってタイトルに使用することを了承していただいた。

「ゆきゆきて、神軍」の場合は、これもずいぶん悩んだ。奥崎さん自身が、自分のことを「神軍平等兵」と名乗っている。だから“神軍”という語は、タイトルにいかしたい。プラス、奥崎さんが、ニッポン国や天皇制というでっかい権力に喧嘩を売るために奔走している。そんな奥崎さんのダイナミックに動いているさまを表現するにふさわしい語は何かないかなあ?と思案していた。
そのときに小林が提案したのは、折口信夫の歌集『海やまのあひだ』の中に“ゆきゆきて”という語をつかっていらっしゃる。それは、どう?と提案。これも即決で決定。

「全身小説家」の場合は、埴谷雄高さんが井上光晴さんのことを“全身小説家・井上光晴”という言い方をしていらっしゃる。それはどうかな?ということになり、埴谷さんにお目にかかり了解を得てから、決定。

「またの日の知華」の場合は、中原中也の詩に「また来ん春」がある。そこからインスピレーションを受けて、“またの日の…”では?と提案。

つまり、疾走プロ作品は、近現代詩歌の影響を大きく受けていることを自認する小林が、“好きな”詩人や語句から“キーワード”を引用する形で提案、さらにプラスアルファを検討してタイトルを決定しているという経緯。

タイトルのことは、これくらいにして…疾走プロという名前をつけたのは、ただ“無いと困るから”という理由だけでは、ない。私たち(小林と原)にとって、映画製作の唯一無二の拠点だから。私たちの、これまでの映画作りは、自主製作。どこかのスポンサーからの依頼を受けて映画を作ることを決して、カッコつけて、拒絶しているわけではない。ただ、来ないだけ。来ないときに、待つだけ、というのは、どうも、自らの生き方の“美学”に反する。
誰からも来なければ、自分の手で、作れば、いい。だって、他ならぬ自分が作りたいんだもの。借金を背負ったって、やりたいことは、やったほうがいい、いや、やるべきである、という価値観を選択すれば、いいだけのこと。
私たちにとっては、映画作りは、生活の手段ではない。生きることの全て、だ。映画作りがあるから、生きていける。疾走プロは、そのための、大切な拠点なのである。

疾走プロダクション
160-0022東京都新宿区新宿1-15-16-202 TEL.03-3350-7812
E-mail : shisso2010@gmail.com

PageTop