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原一男の日々是好日 ―ちょっと早目の遺言のような繰り言―

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 ニコ生を始めたのは、原稿を寄稿していた縁で「メディアゴン」から「ニコ生を始めたんですが、何かオモシロいこと、やってみませんか?」と誘われたのがきっかけだった。「機材も送り出しのスタッフもこちらで全部やりますから」と言われ、では中身だけに集中してやればいいんだ、ならば、「CINEMA塾」をやってきたノリでなら“昔取った杵柄”だ、やれるだろう、と思い引き受けた。

 その時々に、新作が公開されるタイミングの監督をゲストに招き、率直に映画に関するトークを展開するというもの。1回目のゲストは紀里谷和明、2回目のゲストは塚本晋也と、中身はそれなりに濃いトークになったハズ。が、送り出しの機材関連でトラブルが発生した。私に声をかけた「メディアゴン」が用意したスタッフもニコ生に慣れていたわけではない。彼らとて試行錯誤でスタート。だが、トラブルが発生したことより、その時の対応で「メディアゴン」のスタッフに不信感を抱いてしまった。2回目のOn Airのあと、私は「こんなにトラブルが連続して発生するようでは視聴者に対して責任がとれないじゃないか! ニコ生で番組を主宰する資格なんかない!とキツい批判をツイッター上にアップした。ネットメディアはトラブルが起きやすいものだよ、と周囲の人たちが教えてくれたのだが、後の祭り。私のツイッターを目にして主宰者が切れた。「私たちは降ります」と。何だよ! そちらが誘っておきながら無責任な! と怒りが増幅した。

 さて、どうしたものか? と思案したが、次回の予告を既にしていたのだ。だから、今さら「主宰者がおりましたから、辞めます」というわけにはいかないよな、と私のスタッフの島野君と相談。「じゃあ、自主制作でやるか!」と継続を決意したのだった。

 そこからが、“茨の道”だった。毎回、薄氷を踏む思い。ああ、今月はパスするしかないのか!と諦めかけたことも、しばしばだったのだ。友だちの友だちは友だち、と伝を手繰って、何とか「原監督のお手伝いなら喜んでやりましょう」と会社を起こしたばかりの若い人たちが言ってくれた。嬉しかったなあ! On Airするためには、放送機器類、操作できるスタッフ、スタジオの3点が必要なのだが、この新しい会社の人たちは、全部、提供してくれるという。有り難かった。阪本順治、遊山直奇、再び阪本順治、岸善幸、西原孝至と続いた。が、会社を起こしたばかりで、その会社を大きくしなければならず、私たちへの協力が次第に負担になってきた。そりゃそうだろうと思う。もうこれ以上の協力は難しい、ということになった。やむなく次を探した。ネット番組を配信しているある団体が、スタジオと機材も含めて1万円という格安で貸してくれることになった。ここで橋口亮輔、東陽一、深田晃司と無事に放送できた。で、スタッフの一人が自分の仕事の関係上、次回は参加できない、つまりそのスタッフが参加することで貸してもらっていたのだが、そのスタッフが不参加なのでそこが貸してもらえないことになった。またまた苦境に。小さな居酒屋でいったん話が決まった。が、直前になって、難しくなったと断ってきた。万事休す! 今回はパスするしかないのか、と落ち込んでいたがスタッフの粘りで奇跡的に高円寺のライブハウス店と出会えた。会場費は要らない。ただし、場所代の代わりに観客からドリンク代として1000円を頂く、ということで話がまとまった。この時に、ライブハウスなので、ニコ生用の機材はない。ならば、ということで、新規に買い揃えることに。約20万円の出費。ここで平山秀幸。そして再び、ある団体のスタジオでやれることになり、そこで細野辰興。

 我が番組の看板だが、スタート時は、ニコニコ生放送「メディアゴンチャンネル」【原一男 ゆきゆきてシネマ 過激にトークを! 自由にバトルを!】と名乗っていたのだが、自主制作に踏み切ってからは、【原一男のニコ生「CINEMA塾」】に改称した。番組のスタッフだが、無論ギャラなんか払えるわけもなくボランティア。だから、各スタッフの空き時間を調整しながらになる。  こんな不安定で“綱渡り”状態の中を、スタッフの脅威の粘りで、メディアゴンからカウントすると計12回、On Airできたわけだ。これだけでも奇跡に近いと思っている。

 ハード的な問題点は、毎回、起きているが、ここでは触れない、内容に関しては、感じるところはアレコレある。ゲストの年齢層だが、何せ私自身が70才を越える立派な“高齢者”。だから私より年長のゲストは必然的に希少になる。東陽一監督のみである。あとは、全部私より若い監督だ。率直に言って私の好み、と “食わず嫌い”で避けてきた監督を呼ぼうか、ということになり、学習のために以前の作品をまとめて、じっくり観るわけだが、そんなふうに集中して観てみると、これが実に勉強になる。今時の言い方をすれば、リテラシーの勉強になるのだ。私はこれまで自分より年長の先輩監督に注目して学ぼうという意識が極めて強かった。が、若い人を舐めてはいけない、と強く反省。才能豊かだなあ、と自分の不明を恥じることが、しばしば。放送時間は2時間。この時間は、集中してゲスト監督に質問をぶつけるわけで、かなり濃密な時間なのだ。終わるとグッタリと疲労感がある。が決して不快な感じはない。教えてもらったなあ、という喜びで満たされる。 年が明けて、まだまだ続けられる体力はある、と思っている。ゲストも監督だけでなく、出演者も呼びたい。出張ニコ生、つまり地方や、大学等へ出かけることもやってみたい。我が番組の置かれている状況は厳しいが、夢は広がっているのである。
(2017.1.3記)
 12月29日、5回目のオールラッシュ。尺は、最大4時間ほどあった長さが3時間38分にまでになった。今回は、最終版を始めて見る、島野君、千葉さん、古谷さんの3人から意見を聞くこと。

 「作品の長さは、観客の生理的な観点からいうと2時間が理想」という考え方を、私も知っている。だから原則的には、2時間に近づけるという意識を持って編集に臨むことにしている。渋谷「シネマヴェーラ」で2月に上映したときの長さが2時間14分だった。その時に観客の反応は、もう少し長くても大丈夫だよ、という意見が多くあった。原告団の人たちも、同じく、もうちょっと長くても、という意見。その意見に力を得て(?)、よし、ならば、と、それまでに外したものを全部チェックし直そうと考えた。実は、何が何でも2時間に近づける、という意識でつないでいるときは、これ以上は入らないから、と現場での記憶を拠り所に判断して外していたシーンが多くあったのだが、入れたいシーンはみんな入れてみようと基本的な態度を変えてみると、あれも入れたい、これも入れたい、と一気に4時間にまで膨らんできた。8年間、撮影を続けてきたんだもの、落としたくないよなあ、というシーンがたくさんあって当然だ、と思いつつ、さて、しかし、いったん入れ込んだシーンを外すのはツラいものである。ここからが、真に編集のヤマ場が始まったなあ、という感じがする。編集の秦さん、構成の小林と議論を交わしながら、ディティールを詰めていく。

 実は、私は、今回のこの作品、撮影しながら“おもしろい映画になるんかしら?”と不安で仕方なかったのだが、最終版の編集の過程で、“けっこうオモシロいじゃないか!”と思えてきた。「神軍」や「極私的エロス」の質とは違う、庶民=生活者の生き方がもつ様が描けているなあ、と。

 が、個々のシーンにオモシロいところがあったとしても、果たして、3時間半という長さに観客がついてこれるだろうか?と危惧をスタッフの島野君は言う。もっともだと思う。だが編集をしながら、私は、疾走プロ最長の作品になるだろうが、これで、いいんだ、と思えるようになってきたことも確かだ。だって裁判闘争を描いてきたわけで、その裁判闘争自体が8年間かかったわけで、その全体を描くために作品が長くなるのはやむを得ないではないか、と思う。もう一点、原告団の人たちの数が、一陣、二陣含めて50名を越える。それらの人たちの魅力を描こうとすると、頭数が多いんだもの、必然的に、長さが伸びてしまうのも、これまた、やむを得ないことだと思う。構成とプロデューサーの小林としばしば意見がぶつかった。少しでも短く、と主張する小林の気持ちも分かるが、腹を括った。内容、テーマからして、どうしても長くなければ描けないものもあるのだ、と。3時間半という長尺だからこそ、伝えられる世界だってあるはずだ。作品の長さとは、作り手自身が納得できる内容があると信じているからこそ、決まってくるものだ。3時間半と聞いただけで、見ることを放棄するような観客ならば、「見てくれなくてけっこうだ」と居直ることにしよう。そんな態度を「作り手の傲慢だ」と言われるならば、甘んじて受けよう。今回の作品、“市民運動”を扱ったもの、映画館で公開して大ヒットを期待する、というようなタイプの作品ではない、と自分でも分かっているつもり。もちろん作り手としては、あらゆる映画はエンタティメントであるべき、と信じている私は、おもしろさは追求しているつもりだ。が題材からくる印象は、堅い内容、難しいテーマ、暗くて、理屈過剰で、退屈な映画…と興業としては不利な印象を持たれる不利さは否めない、と思っている。劇映画、ドキュメンタリーを問わず映画は、人間の感情を描くものである、という理論を信じているのだが、「まあ、観てみてください」と言うしかない。胸突き八丁、もう頂上は見えてきた、という感じだ。もう一息、最後まで頑張ろう、と自分に言い聞かせている。
(2017.1.2記)
 まさか、このような展開になるとは露とも思ってみなかった。まさに「寝耳に水」。

 週刊金曜日8月19日号は「さようならSEALDs」と題したSEALDs特集。特集のメインは、奥田愛基さんと私の対談。さらに、奥田愛基さんと私とが並んだ写真が表紙を飾っている。昭和20年(1945年)、敗戦が決まる直前に防空壕で生を受け戦後民主主義と共に生きてきた私にとって、“戦後民主主義が未曾有の危機にある今、あなたは、私は、どう闘う?”を週刊金曜日誌上で追求したかった。そうしたテーマで今後、週刊金曜日で対談の連載企画を進める話にもなっていて、担当編集者の渡部編集部員と私と私のスタッフで構想を練り始めていた。「さあ、連載、がんばるぞ」と意気込んでいた矢先の出来事だった。

 発端は「ツイッターで問題が起きてますよ」という私のスタッフからの連絡。さっそくツイッターをみてみた……。週刊金曜日8月19日号の表紙には「さようならSEALDs」、裏表紙には「ヘイトと暴力の連鎖 反原連-SEALDs-しばき隊-カウンター」と題する鹿砦社の本の広告が掲載されていて、それへの批判的な書き込みが、かなり多数アップされていた。書き込みは、「表紙と記事本文でSEALDsを持ち上げておいて、裏表紙で広告を掲載することで叩くなんて、ヒドく無節操である」「裏表紙を見たので買おうという気が失せた」などというものであった。

 はあ! と頭を抱え込んだ。出鼻を挫かれた思いだ。せっかくの企画が、雲散霧消してしまうのか!と悪夢に襲われた感じだ。

 それにしても、何故、こういう問題が起きたのか? 悪意ある誰かの意図があったのかどうか?
まずは事実経過をハッキリ確かめよう、と渡部編集部員に連絡。8月24日の社員会議でその問題を質すというのでそれを待つことにした。その結果。

①そもそも鹿砦社の広告自体は、以前から月1回掲載(基本は第3週目掲載)していた。「ヘイトと暴力の連鎖 反原連-SEALDs-しばき隊-カウンター」の広告が載ったのは8月19日号が2回目。なので、SEALDsの記事が掲載されることを狙って、という悪意があってのことではなく、たまたま重なっただけのこと。

②とはいえ、北村発行人と平井編集長は、誌面発売の約2週間前に表紙と裏表紙の色校が刷り上がってきたときに、SEALDsと鹿砦社とが表紙と裏表紙でバッティングしていることに気付き、なんらかの“まずい”状況になるかも、という懸念を抱いていた。が、平井編集長はその懸念を担当編集者の渡部編集部員に相談することはなかった。鹿砦社の広告をズラすことも不可能と判断した。

③広告の担当者は「雑誌とは『雑』を載せてるんだから」という理由から、鹿砦社の広告と「さようならSEALDs」特集がかぶることが「まずいとは思わない」「鹿砦社の表現の自由は守らなきゃ」と話していたそうな。平井編集長は「ダメな広告なら載せない。鹿砦社の広告は自分たちが審査をして通っている」と話したという。

④表紙と裏表紙の色校は事前に印刷され、編集部員は誰でもみることは可能。渡部編集部員は、取材や記事の編集などに追われていて、平井編集長から今回のことを知らされなかったことと、裏表紙の担当ではなかったこともあり、表紙の色校は見たが裏表紙はチェックしなかった。どのみちこの時点では気付いても、上層部の判断により、裏表紙を変えることはできない段階だった。

⑤一連のトラブルの動きを渡部編集部員に約2週間知らせることがなかった理由を平井編集長に問うと「伝えようと思ったけど、忘れただけ」「ヒューマンエラーですよ」という説明。結局、誌面発行後の段階で編集長はその事実を伝えてきた。

 はっきりしたことは、悪意ある意図はなかった、ということだ。それが分かりホッとしたことは確か。が、それでも残る疑問というべきか課題があるように思える。

 ①週刊金曜日といえども商業誌。定期的な広告収入源である鹿砦社との関係を壊すのは難しい、というポイント。が、そもそも週刊金曜日は内容の中立性を保つためには、広告に頼らないという方針を目指したハズ。その方針に賛同し、週刊金曜日を支持、購入した読者に対しては、裏切りにならないか?
(この疑問に、北村発行人は「売り上げ全体に占める割合からしたら広告に依存はしていない。ただ、広告収入がなくなるのは大変」、平井編集長は「広告収入に依存しないというのは、広告主に対してどんな記事が載ろうと遠慮はしないということ。むしろSEALDsの顔色うかがうのはSEALDsに依存している」と話したとか)

 ②次の疑問。表紙の目立つところに“編集委員”という人たちの名前が記載されている。錚々たる顔ぶれだなあ、といつも思っていたのだが、こういう問題のときに、真っ先に発言があって然るべきじゃないのかな?
が実態は、それらの著名な人たちが編集に関わっていないようなのだ。だから発言は無し……とやり過ごしていいことなのかどうか、だ。これって羊頭狗肉ではないか?

 一見、週刊金曜日内部の問題かのように見える。が、そうだろうか?
ひとりの編集部員が誇りと意地をかけて汲み上げた記事を、同志であるべき同じ編集部の長である人が、本来、支持し守るべきところを、あろうことか泥をぶっかけたに等しい。メッセージに込めた祈りを汚したのだ。70年代、このような人たちを“内部の敵”と呼んでいた。今や、この“内部の敵”という魑魅魍魎が跋扈していることに気付くべきなのだ。その魑魅魍魎たちがニッポン国の至るところに巣くっていることに。

 SEALDsは解散した。彼らは個に戻って、今後は個として闘っていく、と宣言。若い彼らは、記者会見に集まったメディアに向かって「あなたたちも、個として闘ってください」と強烈なメッセージを放った。私もその場にいて、彼らの檄を聞いていた。その通りだと思った。

 もしまた、同じような問題が発生したとしたら? それは、“悪意はなかった”ではなく、“悪意あって、起こるべくして起きた”ということを意味する。コトは広告問題。再び、起きる可能性は十分にある。が、幸い(?)にも編集長は、我らの連載企画にはゴーサインを出しているとのこと。ならば、我らの発する言葉に磨きをかけ、過激で先鋭で、濃密な記事内容を作ることが、為すべきこと、と私は今、闘志をたぎらせている。

「シン・ゴジラ」劇場用予告編が公開されている。

実は…と断るまでも無いのだが、私も出演している。チラシの裏に端役に至るまで全員の出演者の名前が掲載されていて、私の名前を見つけた人から「なんで?」という書き込みがツイッター上で散見されていて、ちょっとした話題になっているようだ。そんなこともあって、“出演の弁”を明らかにしておきたい。

“俺は、今後、役者をやりたい!積極的に売り込む!”と宣言した。

と言っても、大々的にやったわけでもなく、ごく親しい友人知人に打ち明けた程度。そのスケールは小さいけれど、かなり本気のつもり。

どういう心境の変化? と聞かれても、何かが劇的に起きてのことではなく、カメラの前で芝居をする楽しさを、自分も追求してみたい、という気持ちが少しづつ募ってきたわけだ。売り込み方だが、監督と知り合い、直接、直談判する、という戦法でいこう、と思い決めた。

その第1弾。2014〜2015にかけてnew「CINEMA塾」を開講。その講座で庵野秀明監督をゲストに呼んだ。講座が終わって彼に「俺、役者、やりたいんだよ。あなたの作品にだしてよ」と声をかけた。「本気でやりたいの?」と聞くから、「うん。本気だよ」と答えた。しばらくして庵野監督がゴジラを手がける、というニュースを知った。覚えてるかな?と不安混じりに彼にメールを出した。「東宝に話を通しておくから」と嬉しい返信。数日後、その東宝から、「出演していただきたいんですが…」と。

ま、そんな経緯で実現することになった。

シナリオが送られてきた。凄く、ぶ厚い!ビックリ。通常、私たちが慣れている台本の厚さの2倍はあるな、って感じ。 役の数も半端じゃない!

一読すると、これまでの“ゴジラ映画”とは、かなり趣が違う。家族向け映画では無く、シリアスな“社会派”という感じ。

私の役はというと、老生物学者。ゴジラという未知の存在の出現に苦悩する総理はじめ政府の役人たち一堂に対して意見する、という内容。台詞は短いもののストーリー上、意味のある役柄だ。ま、役に関してアレコレ言う筋合いはないけどね。役をもらえただけで感謝!

衣装合わせの日。東宝に出向いた。実は、私の出番は、老生物学者だけでなく他の分野の学者共々3人、政府に意見を言うわけだが、他の二人というのが、同業の映画監督の、緒方明と犬童一心。緒方明は日本映画学校時代、共に教鞭を執っていたので顔見知りだったが、犬童一心は初対面だった。私は二人を見ながら秘かに考えた。二人とも、実に堂々たる“怪異な風貌”(?)なのだ。いや、けなしているわけではない。褒めているのだ。私なんか、のっぺりして、なんの特徴も無い平凡な顔つき。二人が羨ましかったのだ。緒方明なんか、白髪交じりの顎髭を豊かにはやしてるし、犬童は、元々が、怪異。3人並ぶと私は絶対に見劣りするだろうなあ! こうなったら“演技力”でカバーするしかないな!と。

さて、撮影当日。東宝の中でも最も広いステージにセットが組んであった。さすが、超大作なんだ! と納得。庵野監督に会う。役を付けてくれた礼を言いたかった。「台詞は入ってますね。テストの時から回していきますからね。」と庵野監督。「はい。大丈夫です!」と私。ホント、自信があった。これまで、今回よりもっと長い台詞を一発OKという実績もあった。だから、まず大丈夫だ、と自分に言い聞かせて、さて、いよいよ撮影開始。本番! 用意! スタート! 学者が3人並んでるわけだが、まず緒方から。台詞も軽く流し芝居もスムース。次は、隣の犬童。これも台詞軽く、芝居もストレート。で、続いて私の番。先の二人が台詞を無難に言ったなあ、よし、俺は腹に力を込めてセルフを言おう、と思い決める。で、目に力を込めて総理以下役人たちを見回してから、おもむろに台詞。決して長くない台詞なのだが、途中までいって、その半分のところで、ひっかかってしまった。ありゃあ、と焦る!「ゴメン!」。平謝りしながら、もう頭は、真っ白! 「はーい。原さん、続いていきますからね。よーい、はい!」。が、2度目もNG。同じところで、つっかえるのだ。3度目、4度目、同じだ。助監督が慌てて近くに寄って台本を私に見せる。目で確認する。「OK」。「大丈夫です。やりまーす」と、トライするが、またまた…。業を煮やしたか、「カメラを回しっぱなしにしておくから、自分でやりよいようにやって」と庵野監督。たしかに「良—い!はい!」のかけ声は緊張する。そこを、外すと、自分のリズムでできるだろう、という配慮。恥ずかしいやら有り難いやら。気持ちは、もはやグジャグジャ。が、「はい。好きにやってください」と言われ、カメラが回り、自分で呼吸を整え、台詞を…が、気分は楽になったが、やはり、つまってしまい、続けてカメラを回しっぱなしで2回繰り返したかな、何とか、最後まで言えた!

フーッ!ホントに、ホッと一息ついた。やれやれだ。「はーい!OK」。

冷や汗だらけだ。後は、続けて切り返しを数パターンとって、終わった。

私のNGの連続のせいで、小1時間は、ゆうに無駄にしてしまった!

ホントに申し分けないという思い。

セットをでたところで、庵野監督にバッタリ。

「台詞、入ってないじゃないですか?」
「役者は、止めた方がいいですね。」

キツーい内容の言葉は、致し方ないとして、庵野監督の表情からは、マジなのか、半分冗談なのか、判別がつかない。ひたすら恐縮するしかなかった。 スタジオからの帰り道、うちひしがれてトボトボと成城学園駅まで、やけに遠かった。が、完成した作品をみれば、多分、いや、絶対に他の二人より私の方が、キチンと芝居をしてるはずだ、と、そう思うことだけが救いだった。いや、無理矢理そう思うことで、自分を慰めたかったのかも知れない…。
ニコ生「CINEMA塾」4回目は、阪本順治監督。彼は早くも2回目の登場です。

今回、取りあげる作品は「団地」。今回のトークのために阪本監督の過去の作品は、スタッフに強く薦められてみた「魂萌え!」。これが、見てビックリ。その出来のすばらしさに、もう、舌を巻きました。うまい!ってことです。主人公の風吹ジュンの演技の素晴らしさもさることながら、彼女演じる中年女性の感情をここまで深く、艶っぽく、的確に演出できる阪本監督の技量、センスに驚いたのだ。今はDVDでしか見られないのだろうが、一見をお勧めする。そして最新作の「団地」。コレがまた傑作なのだ。決して大笑いするようなタイプではないが、クスクス笑える演出は見事なものだ。しかも、こんなストーリーってありなの?って、あきれること請け合いだ。

したがってニコ生放送では、絶賛絶賛の連続。彼に“名匠”という称号を上げてもいいとさえ思っている。今や小津安二郎クラスに匹敵する監督だと思っている。表面上だけで褒めているのでなく心底、尊敬している。が、いくら名監督といえども、全作が傑作だとは、いえない。阪本監督は、大作はイマイチだなあ、という感じはある。だから私が傑作だと思っている作品は、小品、というべき、予算の厳しいものだ。阪本監督本人に言わせると、自由度がある、そうな。なるほどね、と納得。私があまりに、大作はイマイチ、と強調するものだから、大作は大作として挑戦してみたいと思う、と言う。その発言ももっともだと思う。あまり、大作がイマイチ、と言い過ぎると監督としての仕事が来なくなっても困る、と言われて、それもそうだと、反省。

私はこれまで私より年長の巨匠といわれる監督たちを目標に学びたいと思ってきた。がその考えに変化がでてきた。阪本監督は私より一回りほど年令はしただが、私より若い人のなかに、うまい人がいれば、その若い監督から学ぶべき、だと思えるようになった。その第一人者が阪本順治監督であることは紛れないことだが。
(2016.6.30記)
 「劇場版 命て なんぼなん? ニッポン国泉南石綿(アスベスト)村」の編集が、急ピッチで進んでいる。

 足かけ9年かけて、回したテープが、60分テープを500本、我ながら莫大な量を撮影したものだ。それを2時間10分に凝縮しようというわけなので、内容の選択を悩みに悩むわけだ。

 それでも今日現在、小林が頑張って2時間25分までに縮めてくれた。が編集ラッシュをみると、外したシーンのアレヤコレヤが気になり、やっぱりアレも入れてみようよ、これも足してみようと、尺を増やす方向で言い募ってしまう私。コレじゃ“イタチごっこ”だ。ちっとも短くならない!

 そんな悪戦苦闘を繰り返しながらも次第に明確になりつつある作品の全容。これ、オモシロイかなあ?という不安が増幅する。これまで、私が思い描くような映像が撮れたという実感がなく、結局、裁判が最高裁までいき、判決が出て、運動が終結し、したがって撮影も自動的に終わった次第。ドキュメンタリーのクランクアップというものは、作り手が、撮れた! と納得をし、これで終わっていい、と自然に思える時がクランクアップの時である、と常々発言してきた私としては、まだ撮れていない、と思い続けていたにもかかわらず、終わってしまうことの不満。だが、どうしようもない。撮るべき対象がフェードアウトしてしまったわけだから。今は、コレまで撮れた映像をチェック、吟味し、構成を立て、編集をする以外に、手は無い。

 1本の大木を、彫刻家が削り、仏を彫る、というテレビ番組を見たことがあるが、不思議な思いを抱きつつ、“へえ、1本の樹の中に仏が存在しているんだ、と感銘したものだ。それに似て、500本超の撮影済みテープの中から、どのようなイメージが姿を現してくるんだろうか?と、それはそれで興味津々ではある。撮影段階では作り手自身がよく理解してなかったことが、あなたたちが撮影していたことは、こういうことだよ、とこれまで姿がなかったものが明解な形を持ってたち現れてくる、そしてその姿をある感動を持って眺めている、という構図。その、姿を現したもの、それこそがテーマと呼ぶべきことなのだろうと思う。

 では、全く意識していなかったか?と問うてみると、漠然と意識はしていたのだと思う。オールラッシュを見ながら、そう思う。

 さて、これまで私は様々なイベントの場で「新作は?」と問われ、「アスベスト裁判闘争を闘っている泉南の人たちを撮っています。 人の生き方を“表現者”と“生活者”というふうに分けた場合、泉南の人たちは、もろ“生活者”なわけですね。私は20代の頃、自分は“生活者”にはなりたくない、と否定的に考えていました。昭和の時代に私(たち)が作ったドキュメンタリーは“表現者”たちを描いたわけです。が平成になった今、もろ“生活者”を撮っている。これは紛れもなくジレンマなわけです。このジレンマについてズーッと考えてきました。しかしそれを越える答えが未だに見つかっていないんです」と答えてきた。

 何とも情けない話だ。まもなく生まれ出んとする作品を目前にして、まだ、その作品を支える方法論を確立できずにいるのだから。

 方法論――昭和には昭和を描く方法があるべきだろうし、平成には平成を描くべき方法があるだろうし、と考える私。昭和という時代に作った疾走プロ4作品は紛れもなく“昭和の精神を記録したドキュメンタリー”と思っている。ということは、本作は平成のドキュメンタリーであるはず、ということになる。

 だが私の実感としては、肝腎の方法論をつかめていない! 正直に言えば、本作に取り組む中で方法論を掴みたい、と願ったのだ。

 新作を編集しているときはいつだって不安なものだ。こんな作品、見てくれる人、いるんかしら? と。「極私的エロス」の時は、こんな自分自身の三角関係を描いた映画なんて観たいと思うのかなあ? という不安。「神軍」の時は、「こんな身勝手な奥崎謙三を描いた映画なんて反感を買って誰も見てもらえないんじゃないか?」という不安。まあ、基本的には私は“不安症”的な性分であるとも言えるのだが。だとしても、本作は運動の映画、今時、運動の映画が多くの人の関心と興味を引きつけるだろうか?という不安。しかも題材は、大阪の外れの小さな町の小さなグループの闘い。全国区の運動ではない。もちろん運動の本質は、決して小さくはないのだが、それは当事者の思い。受け止める一般の人たちにとっては、知名度は圧倒的に少ない。こんな“地味な”映画を観てもらえるだろうかと不安が増幅するばかり。

 もうよそう。シネマヴェーラ渋谷での完成披露上映まで、残すのは1週間。とにもかくにも、内容をブラッシュアップして、なお、2時間10分の目標の尺数を実現しなければならない。愚痴は、後回しだ。
(2016.2.5 記)
 第1回「阪本順治篇」無事、終了しました。いやあ、私としては実に充実した時間でした。阪本監督はこちらの質問に対して率直に答えてくれていることがビンビン伝わり、爽快でした。

 さて、“原一男ニコ生「CINEMA 塾」”と看板を掛け替えての第1回目だし、何か目新しいことはないものか?と思い、アメリカの「アクターズスタジオ」を思い出し、真似てみることを思いついた。さっそく10の質問事項をスタッフと練った。

● あなたにお聞きします。正直に答えてください。
という前振りがあって…

① 自分は、世界の中でもトップクラスの監督である、と思ってる?
② 自分の作品の中で、どの作品が、最高傑作だと思ってる?
③ 自分の作品の中で、どの作品が、失敗作だと思ってる?
④ どの作品が、最もヒットしたの?
⑤ どの作品が、最もコケたの?
⑥ あなたが、これまで殺したいと思った人、何人いますか?
⑦ 女優と付き合ったことは、ありますか?
⑧ 最近、いたしたのは、いつですか?
⑨ この世で最も、イヤなこと? 嫌いなこと? 憎むこと?
⑩ 映画監督で食えなくなったら、どんな職業を探しますか?

 どうだろう?
 この質問を番組の最初にするか、終わりの〆にするか、と議論。私は終わりの〆でいいかと考えたが、スタッフが冒頭の方がいいと主張、中身のアレコレ質問するヒントになるから、と言う。なるほど、そうかも、と同意した。 で、こちらの発想としては、番組のスタートは軽く入ったほうがいいだろう、と考えたわけだが、果たして“軽く”入れたのかどうか?
 いやあ、阪本監督は、けっこう考え込んでしまって、隣に座っている私としては、アレレ、これは軽くなかったかな?と後悔の念が起きてしまったくらい。
 あくまでも、イントロなんだし、軽いジャブのつもりなのだが…。が、彼は、根が真面目なんだろうなあ、と再認識。マジに、笑い飛ばし、はぐらかし、冗談でもかまわない、くらいの気持ちだったが、一つ一つの質問に真っ当に答えてくれたのだ。それはそれで、きっちり濃い反応ではあったが。

 この10の質問の中で最も気がかりだったのは、「⑧最近、いたしたのは、いつですか?」だ。あまりにもプライベートな内容であることは、私だって分かっていた。こんなヤバイ質問、OKかなあ、と迷ったが、スタッフは、豪快に大丈夫ですよ、と言う。もともとの私が書いていた質問は少しアプローチが違ったのだが、「原さんが聞きたいのは、結局は性のことですよね?わざわざ遠回しに聞くぐらいなら、直接聞く方が原さんらしいですし、ゲストもちゃんとそれなりに答えてくれますよ」と。
 まあ、軽いノリでいいんだから、と自分を納得させた。それに“どぎつい質問の原”が売りでもあったし、その売りを裏切ってはいけない、という“責任感”もあったし。  でも、驚くべき“生真面目さ”と言うべきか、彼は、キチンと恥ずかしがらず、逃げずに、自分のプライベートな部分を話してくれた。内容は、放送を聞いてもらうとして。
 性の部分は、人それぞれ。だが、どんな内容であれ、性の話は“不思議感”がある。

 対談が終わって、大きく私の心の中に残っているのは、彼は“実に様々なことについて考える”ということだ。それは感動するくらいに、である。彼は、現場に行く前に、台本上でカット割りを、4回くらい、やるのだそうだ。キチンと鉛筆で線を引いて。それが現場に行き、役者が動き始めると、割らなくていいんだ、と思ってしまう、という話には、笑ってしまったが。
 ともかく、トークが終わって私はすっかり、彼が気に入ってしまった。旧知の仲、のような感覚だ。また、どこかで、じっくり話し込みたいものだ、と思っている。
(2016.2.1記)
 待ちに待ったタイトルが正式に決まった。

「ドキュメンタリーは格闘技である 原一男vs 深作欣二、今村昌平、大島渚、新藤兼人」。

 どうだろう? オモシロそう!って思ってもらえるだろうか?
 ドキュメンタリーを長年、作ってきた身からすれば、まさに「格闘技」という表現は、実感そのもの。ピッタシなんだけどね。

 原稿も全部、入稿が終わり、ただいま校正ちゅうだが、その作業も終わり。  表紙に使用する写真も、横田弘と新宿・歩行者天国へ出かけた時、横田弘が自分の詩を聞け、と“暴力的に観客を巻き込む”ためのアクションシーンを地下プロムナードでロケを敢行したときのスナップでいこう、と結論が出た。  20年来の念願、いや、悲願と言っていい、その本が、刻々と世にでる、その日を待っている、というところである。  私としては、現在、私だけ(ほかに関係者を含むけれど)が面白さを知っているわけだが、一刻も早く、この面白さを多くの人に知ってもらって、共有したいのである。

 本の末尾に、「CINEMA塾」でゲストとしてお呼びした方々のリストを載せておいた。今さらながら、凄い方々に来ていただいたものだと我ながら感心する。原則として、ゲストの講座は記録をとってあるので、第2弾、第3弾と出版できる材料はあるわけだ。第1弾が売れてくれれば、それも夢ではなくなる。

この出版を記念して、渋谷シネマ・ヴェーラで、この本の内容とリンクする形のプログラムを組んでの上映が始まる。 そもそもの“言い出しっぺ”の私(たち)の作品はもとより、4巨匠の作品もラインナップされている。各巨匠と縁の深いゲストもお呼びする。是非、ご期待を!
(2016.1.26 記)
 1月6日、新宿「ネイキッドロフト」で、「原一男大新年会」なるイベントを開催。能町みね子、吉田豪のお二人にゲストとして参加して頂いた。

 ディメンションから疾走プロ作品「さようならCP」「極私的エロス・恋歌1974」「全身小説家」が発売され、そのPRのために、が狙いだ。

  このイベントに関心を持ってもらえるのかどうか不安だったが年内に予約チケットが完売だったそうで、ホッと安堵の胸をなで下ろす。

さて重要なのはイベントの中身。当節、こうした“生の声を直接、聞く”というタイプのイベントに観客が集まらなくなってきている、という話を最近聞いた。ならばなおこと、イベントをオモシロく盛り上げないことには、ますます自分たちの首を絞めることになる、と戦々恐々という気分で当日を迎えた私。

 さて、強力なゲストのパワー頼み。吉田豪さん、さすがですねえ。奥崎謙三の、今はレアとなって入手不能な本をほとんど蒐集されている。したがって、奥崎謙三が、いかに悪文であるか、から話題はスタート。

 能町みね子さんは、性転換というドラマチックな経験をした人なので、その性転換したことによる、膣がどれだけ快感をもたらしてくれたのか?を根堀り葉堀り、具体的に聞いていく。

 で、私は私で何か「芸」をお見せしなければと悩む。“まな板の鯉”とばかり、いいようにしてください、と受け身じゃいけない。と悩んだところで“芸人”じゃないので、自分の恥を晒すことくらいしかできない。恥なら、自慢じゃないが、アレコレとてんこ盛りにある。「またの日の知華」のときに、桃井かおりからめっちゃお説教をくらい、ワンワン泣きまくったエピソード。奥崎さんがニューギニアロケのときに性に目覚めたわけだが、そのきっかけを作ったのは私であること。そのあと、インドネシアで、奥崎さんがセックスをしたいきさつ、そして自分の子どもを産んで欲しいとお願いをする、是非その場面を撮って欲しいと頼まれたエピソード。「全身小説家」で一番“嘘つき”なのは井上光晴ではなく瀬戸内寂聴であると埴谷雄高さんが指摘したというエピソード。

 当日、お話したことの全部をここで再現することは到底無理。ディティールを知りたい方はやはり当日会場に来て頂くしかなかったですねえ。来て頂いた方たちに対しては、ホントに有り難いと思う。DVDを2枚買ってくれた人もいて、作り手にとってはこれ以上の励みはないのである。

 能町みね子さんと吉田豪さん、おふたりのファンの方、ありがとうございました。そして疾走プロ作品のファンの方もありがとうございました。
(2016.01.13記)
今回の「ラジオ出演」が奇しくも、今年の、充実した仕事始めになりました。

ありがとうございます。

昨年の11月に出演して今回が2度目。少しだけ慣れたかな、という実感があって、気持ち的には落ち着いて、現場入り。ディレクターと顔を合わせて、流れについて打ち合わせ。心の準備をして、いざ、On Air。

始まってみると……打ち合わせの時に、おおよそ、こんなことを喋ろうかな、と用意しておいたんだが、微妙に、というか、かなり、というか、話の方向がずれてくる。内心、慌てているのだが、止まるわけにはいかない。こちらも、こうしたトークというもの、上映会場であれ、テレビであれ、ラジオであれ、エンターテイメントであるべき、という考え方があるので、どうしても、やや過剰にサービス精神が旺盛になってしまう。いかん、いかん、と心の中でブレーキをかけようとするのだが、難しいもんだなあ、これが止まらないんだよな。

話題は「テロリスト宣言」のようなもの。今時、このテーマってけっこうヤバいよね。例によって奥崎謙三の生き様を引き合いに出しながら、持論を展開するのだが、“低空飛行”って感じだ。反感を買うかな、と不安だったが、えーい、ままよ!とばかり、突っ切る。

荻上さんが、ホントに“ノセ上手”だもの。ついつい喋り過ぎてしまう!

「極私的ラジオ論」になるが……。事前の打ち合わせには、荻上さんは参加していない。構成を立てたディレクターとでやる。でスタジオに入って本番になるわけだが、荻上さんは、構成台本を手にしてはいる。が、その通り、というふうには進まない。意図的に外すのか、荻上さんなりの狙いがあってなのかどうか? が多分、構成台本通りに進んだとしたら、終わってみれば、そこそこだったね、となるんだろうなあ。ともかく、外されるものだから、内心、こちらとしては慌てて、武装していないものだから、日頃考えている本音がポロリとでてしまう。いや、批判的に言っているわけではないんです!その面白さを狙っているんだろうなあ、という気がする。それはドキュメンタリーでの被写体との駆け引きと同質なんだと思う。

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