ドキュメンタリー映画の鬼才 原一男公式サイト

原一男facebook
原一男twitter

原一男の日々是好日 ―ちょっと早目の遺言のような繰り言―

トップページ > 原一男の日々是好日 > 浦山桐郎監督、没後30周年にあたって
 浦山監督と出会って、自己紹介のつもりで「極私的エロス・恋歌1974」を見せた。気に入ってもらった。
「原よ。いい映画だと思う。好きだよ。主人公の武田美由紀も魅力的だ。ドキュメンタリーは実在の人間を描く。だが劇映画は、武田美由紀のような魅力的な女性を監督が自由に創り出せる。創り出す仕事というのは、とても男性的な仕事なんだよ。」と力を込めて言った。 なるほど、フィクションを作る、というのは、そういうことか、教えてもらった気がした。

 浦山監督は、女優を育てる名監督として知られている。吉永小百合、和泉雅子、大竹しのぶ、小林トシ江、藤真利子etc. 何年前だったか、何のCMだったかは忘れてしまったが、大新聞の一面を使ってでかく「女優を育てる名監督とその女優たち」と掲載されたこともあった。
「女優を育てる」というフレーズは、たしかに美しい響きをもつ。が、内実は、凄まじい葛藤が渦巻いている。

 吉永小百合の場合。「キューポラのある街」のクランクイン初日。吉永が生理だということを知らされていたにもかかわず、スタッフの反対を押し切って浦山さんは、あえて吉永の走りのシーンを撮った。全力疾走を指示されて、吉永は、愚痴を一言も言わずに全力で演じきった。浦山さんは、お嬢さん育ちの吉永が貧乏人の娘を演じられるか?を試したわけだ。吉永は見事にやり切ったのだ。そして、吉永に賭けてみようと決意した。
 和泉雅子の場合。彼女もやはり銀座のお嬢様育ち。しかし「非行少女」もまた貧乏人の娘が主人公。その貧乏人であることのコンプレックスを演じさせるために、和泉雅子のプライドを、めためたに傷つけるように和泉の演技にダメを出し続けた。NGの理由も説明せず。若い和泉雅子は、混乱して、そして、さすがに浦山さんに対して切れた。「浦公殺して、俺も死ぬ」と日記に書いた。そんなプロセスがあって、貧乏人がもつ屈折感を和泉雅子は見事に演じ切った。
 小林トシ江の場合は、さらに壮絶だ。「私が棄てた女」の主人公・森田ミツもまた薄幸の女だ。そんな女の“みじめ感”を出すために浦山さんは自宅に小林を住み込ませ、“女中”のように扱ったという。さらに現場でもスタッフが呆れるくらいにNGを出し、執拗にテストを重ね、小林トシ江を精神的に追い込む。
「ああ、私は役者としてはダメなんだあ。」と小林は失意、現場から逃走、千葉の海岸を彷徨い、自殺未遂を図った。
 和泉雅子も、小林トシ江も異口同音に、「あれ(ヒロイン)は私じゃないんです。あれは浦さんが作ったヒロインなんです」と。さらに「もう二度とあのような役作りはできません」「でも、あれは、私の宝物です」とも。
 女優を育てるための裏話は、もっと凄惨なエピソードがある。私は取材して知っているのだが、とても、ここでは書き切れない。それは、まさに悲喜劇の極み。関西テレビ制作・原一男演出「映画監督浦山桐郎の肖像」には、その辺りをかなり描き込んだ。が残念ながら、自由に映画館で上映できない。せめてDVD化できないかとアレコレ動いてみたが、ダメだった。

 今年は浦山桐郎監督の没後30周年。ということで記念企画として、大阪「シネ・ヌーヴォ」で浦山監督全9作品、今、上映されている。関西の人たちには是非見て欲しい、と願っている。
昭和という時代のなかで生きる民衆、弱者たちに暖かい目線を送る浦山作品なのだが、平成の今、浦山監督作品に目を向ける人は少ない。平成という時代になって、日本人は何を失ったか? 何を棄ててきたのか? 浦山作品はそんなことを気づかせてくれるんだが。 大阪以外の地でも、深く映画を愛し、気骨のある映画館で、浦山監督特集上映をしてくれるところはないものか…。
(2015.10.20.記)
PageTop