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原一男の日々是好日 ―ちょっと早目の遺言のような繰り言―

2015年12月18日

Never Give Up!

ごく最近、Twitterで、質問を受けました。現在の私にとって、すごく“痛い”ポイントを突いたものでした。だから精一杯に答えを書きました。 今後の私自身の“指標”となる内容ですので、ここに再現しておきます。

(Q)原さんにズバリ1つだけお伺いしたいことがあります。原さんはこれから撮られるであろうドキュメンタリー映画は奥崎謙三さん以上の被写体に出会わなければあの伝説の映画『ゆきゆきて、神軍』は越えられないと思われますか?

(A)ズバリお答えします。 私がこだわってきた方法論というものがあって描かれたのが「神軍」です。その方法論にこだわっている限り、奥崎さん以上の被写体は今、存在しないので、したがって「神軍」を越える作品は作れないということになります。
ではどうすればいいか? 今までこだわってきた方法論を変える以外にありません。ですが方法論とは生き方とイコールですから、そう簡単に生き方を変えられないように、方法論を変えることは、相当に困難な作業になります。
とにかくこの10数年間、別の方法論を見つけたいと願って悪戦苦闘してきましたが、未だに見つかったという実感はありません。 ですから、まだまだ苦闘は続きます。「神軍」を越える作品を撮りたいと思っていますから、頑張るしかありません。

(Q)大変丁寧にお答え頂きありがとうございました。おおかたは理解を致しましたが、どうも「方法論とは生き方とイコール…」という点が私には理解というか違和感が残りました。方法論と生き方が相反することは映画には何も問題がないように思えます。つまり別人格だと…。

(A)方法論という考え方をどのように捉えるかは、作り手によって様々でしょう。単に作り方のテクニックという考え方もあると思います。 しかし私たちは「自主制作・自主上映」という形でしか自分が作りたいものを作れる状況がなかったわけです。
そのことを悔いてるわけでもなく、ツライと思ったわけでもありません。ただ現実を説明しているだけのことですが、制作資金を借金し、生活の全てを、具体的にいうと子どもたちと付き合う時間を潰してまで映画制作に没頭する私たち(夫婦)。そんな私たちにとって、映画を作るって何?と考えざるを得ません。 どんな映画を作りたいのか? 何故、今、作らなければならないのか? 自問自答を繰り返しながら作っていきます。 完成したら、今度は借金を返すために必死に上映運動をします。借金を返さなければ、次回作が可能にならないからです。 こういう切羽詰まった状況の中で映画を作っていると、自分がどういう生き方をしたいのか?という問いと自然に重なってきます。 映画をつくることの意味が生きることの意味と重なります。
私が職業監督として、つまりギャラをもらっての映画作りをしてきたなら、別の考え方をしたでしょう。が一貫して自主制作ということは、自分が描くべきテーマをどこからみつけるか?というと生き方の中からしかないわけです。

テーマが見つかったら次は、どう描くか?と方法論を考えます。 その方法論を見つけるにあたって、どこからヒントを引っ張りだしてくるか? というと現実の人間関係の中から、なわけです。 どこまでいっても自分の生き方と方法論とが重なります。
ということですが…伝わったでしょうか? 方法論が生き方とイコール、という考え方は劇映画の監督の中にもいらっしゃいます。深作欣二監督や浦山桐郎監督です。 この話はまた別の機会にしましょう。 とりあえず返答になったでしょうか?

(Q)ご返答、ありがとうございました。自主制作・自主上映にこだわった結果が方法論イコール生き方に繋がっている。大変良く理解出来ました。しかしそうなると「ゆきゆきて、神軍」の時期と今では状況も変わり、撮影する際の原さん自身の「初期衝動」のようなものは持続出来るのでしょうか?
「極私的エロス」にせよ、「さようならCP」にせよ、「ゆきゆきて、神軍」にせよ、被写体同様、原さんご自身の「初期衝動」みたいなモノがフィルムに定着してるように思うんです。だから、仮に「初期衝動」が枯渇されてるならその方法論が果たして可能なのかがどうしても疑わしいのです、ファンとして…。

(A)「初期衝動」とおっしゃっていることを私は「表現衝動」と呼んでいます。この「表現衝動」は、人間は等しく誰でももっているものと考えています。人によって強弱はあるでしょうが。その「表現衝動」は一生持続するはずのものです。年をとるとその衝動が薄くなるかというとそうではありません。

「衝動」自体のエネルギーは原則、一生かけて同じ。ですが若い人と比べて、年寄りは生きられる絶対時間が少ないわけです。ですから「衝動」を残りの時間を割ると年寄りの方が値が高くなります。つまり「衝動」が濃く高いレベルであるということになります。

おっしゃりたいことは……年をとった私の「衝動」が若かった時に比べて劣ってきているのではないか?というご懸念ですよね? その指摘、よく分かります。一般的には、その指摘が当たっている人が多いですもんね。ですが私は、実感として「表現衝動」が劣化してきているという感じはないです。

というより、むしろ強くなっていると感じています。

ただ、昭和という時代は「表現衝動」を後押ししてくれてました。が平成という時代は「表現衝動」を実現すようとすると、足を引っ張られてしまいます。

こんな困難な時代の中で、そんな時代を撃つ方法論を確立するのは、かなり困難だと日々、考えています。 これまで10年間試行錯誤してきたつもりですがこの課題を克服し得たとは思えません。これは「永久革命」に似た事業ですので、くたばる最後の最後まで、勝負は分からないでしょう。

今言えることは、Never Give Up!
ただただ、前を向いて、歩いていくだけです。

(Q)改めて原さんは原さんなんだなと再認識を致しました。原さんの足下にも及びませんが私も最後の最後まで駆け抜けたいと思います。

(A)そうですね(苦笑)。“私は、どこまでいっても私なんですよね”。
アレコレお答えしましたが、正直に言いますと“公式見解”的な答かなあ、と認める私がいます。そもそもの問いは「神軍」以上の作品を原さんは今後、撮れないんじゃないか?というものでした。その不安は、私自身の中に根強くあります。ああ…俺は、生涯の代表作と後世の人が評価してくれるのは「神軍」だけなのか?と。で、「コンチクショウ!!!」と思うわけです。まだまだ撮ってみたい、と考えてる企画はあるわけですから、その作品を傑作にしてみせる!という野心が沸き起こるんですね。埴谷雄高さんの言葉ですが、「作家という者は、やりたいことを100%やりきる、ということはないわけですね。だいたい70%から80%やれれば立派なもんです」。私はまだまだ半分もいってないわけだから、まだまだ“やれる”と思うわけです。今まで述べてきたのは、自分へ向かって“檄を飛ばす”というノリのものです。そんなふうに自分自身を叱咤激励しながら、息を引き取る瞬間まで、走り抜けるんだ、と言い聞かせる毎日です。
(2015.12.18)
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