「シン・ゴジラ」劇場用予告編が公開されている。
実は…と断るまでも無いのだが、私も出演している。チラシの裏に端役に至るまで全員の出演者の名前が掲載されていて、私の名前を見つけた人から「なんで?」という書き込みがツイッター上で散見されていて、ちょっとした話題になっているようだ。そんなこともあって、“出演の弁”を明らかにしておきたい。
“俺は、今後、役者をやりたい!積極的に売り込む!”と宣言した。
と言っても、大々的にやったわけでもなく、ごく親しい友人知人に打ち明けた程度。そのスケールは小さいけれど、かなり本気のつもり。
どういう心境の変化? と聞かれても、何かが劇的に起きてのことではなく、カメラの前で芝居をする楽しさを、自分も追求してみたい、という気持ちが少しづつ募ってきたわけだ。売り込み方だが、監督と知り合い、直接、直談判する、という戦法でいこう、と思い決めた。
その第1弾。2014〜2015にかけてnew「CINEMA塾」を開講。その講座で庵野秀明監督をゲストに呼んだ。講座が終わって彼に「俺、役者、やりたいんだよ。あなたの作品にだしてよ」と声をかけた。「本気でやりたいの?」と聞くから、「うん。本気だよ」と答えた。しばらくして庵野監督がゴジラを手がける、というニュースを知った。覚えてるかな?と不安混じりに彼にメールを出した。「東宝に話を通しておくから」と嬉しい返信。数日後、その東宝から、「出演していただきたいんですが…」と。
ま、そんな経緯で実現することになった。
シナリオが送られてきた。凄く、ぶ厚い!ビックリ。通常、私たちが慣れている台本の厚さの2倍はあるな、って感じ。 役の数も半端じゃない!
一読すると、これまでの“ゴジラ映画”とは、かなり趣が違う。家族向け映画では無く、シリアスな“社会派”という感じ。
私の役はというと、老生物学者。ゴジラという未知の存在の出現に苦悩する総理はじめ政府の役人たち一堂に対して意見する、という内容。台詞は短いもののストーリー上、意味のある役柄だ。ま、役に関してアレコレ言う筋合いはないけどね。役をもらえただけで感謝!
衣装合わせの日。東宝に出向いた。実は、私の出番は、老生物学者だけでなく他の分野の学者共々3人、政府に意見を言うわけだが、他の二人というのが、同業の映画監督の、緒方明と犬童一心。緒方明は日本映画学校時代、共に教鞭を執っていたので顔見知りだったが、犬童一心は初対面だった。私は二人を見ながら秘かに考えた。二人とも、実に堂々たる“怪異な風貌”(?)なのだ。いや、けなしているわけではない。褒めているのだ。私なんか、のっぺりして、なんの特徴も無い平凡な顔つき。二人が羨ましかったのだ。緒方明なんか、白髪交じりの顎髭を豊かにはやしてるし、犬童は、元々が、怪異。3人並ぶと私は絶対に見劣りするだろうなあ! こうなったら“演技力”でカバーするしかないな!と。
さて、撮影当日。東宝の中でも最も広いステージにセットが組んであった。さすが、超大作なんだ! と納得。庵野監督に会う。役を付けてくれた礼を言いたかった。「台詞は入ってますね。テストの時から回していきますからね。」と庵野監督。「はい。大丈夫です!」と私。ホント、自信があった。これまで、今回よりもっと長い台詞を一発OKという実績もあった。だから、まず大丈夫だ、と自分に言い聞かせて、さて、いよいよ撮影開始。本番! 用意! スタート! 学者が3人並んでるわけだが、まず緒方から。台詞も軽く流し芝居もスムース。次は、隣の犬童。これも台詞軽く、芝居もストレート。で、続いて私の番。先の二人が台詞を無難に言ったなあ、よし、俺は腹に力を込めてセルフを言おう、と思い決める。で、目に力を込めて総理以下役人たちを見回してから、おもむろに台詞。決して長くない台詞なのだが、途中までいって、その半分のところで、ひっかかってしまった。ありゃあ、と焦る!「ゴメン!」。平謝りしながら、もう頭は、真っ白! 「はーい。原さん、続いていきますからね。よーい、はい!」。が、2度目もNG。同じところで、つっかえるのだ。3度目、4度目、同じだ。助監督が慌てて近くに寄って台本を私に見せる。目で確認する。「OK」。「大丈夫です。やりまーす」と、トライするが、またまた…。業を煮やしたか、「カメラを回しっぱなしにしておくから、自分でやりよいようにやって」と庵野監督。たしかに「良—い!はい!」のかけ声は緊張する。そこを、外すと、自分のリズムでできるだろう、という配慮。恥ずかしいやら有り難いやら。気持ちは、もはやグジャグジャ。が、「はい。好きにやってください」と言われ、カメラが回り、自分で呼吸を整え、台詞を…が、気分は楽になったが、やはり、つまってしまい、続けてカメラを回しっぱなしで2回繰り返したかな、何とか、最後まで言えた!
フーッ!ホントに、ホッと一息ついた。やれやれだ。「はーい!OK」。
冷や汗だらけだ。後は、続けて切り返しを数パターンとって、終わった。
私のNGの連続のせいで、小1時間は、ゆうに無駄にしてしまった!
ホントに申し分けないという思い。
セットをでたところで、庵野監督にバッタリ。
「台詞、入ってないじゃないですか?」
「役者は、止めた方がいいですね。」
キツーい内容の言葉は、致し方ないとして、庵野監督の表情からは、マジなのか、半分冗談なのか、判別がつかない。ひたすら恐縮するしかなかった。
スタジオからの帰り道、うちひしがれてトボトボと成城学園駅まで、やけに遠かった。が、完成した作品をみれば、多分、いや、絶対に他の二人より私の方が、キチンと芝居をしてるはずだ、と、そう思うことだけが救いだった。いや、無理矢理そう思うことで、自分を慰めたかったのかも知れない…。
ニコ生「CINEMA塾」4回目は、阪本順治監督。彼は早くも2回目の登場です。
今回、取りあげる作品は「団地」。今回のトークのために阪本監督の過去の作品は、スタッフに強く薦められてみた「魂萌え!」。これが、見てビックリ。その出来のすばらしさに、もう、舌を巻きました。うまい!ってことです。主人公の風吹ジュンの演技の素晴らしさもさることながら、彼女演じる中年女性の感情をここまで深く、艶っぽく、的確に演出できる阪本監督の技量、センスに驚いたのだ。今はDVDでしか見られないのだろうが、一見をお勧めする。そして最新作の「団地」。コレがまた傑作なのだ。決して大笑いするようなタイプではないが、クスクス笑える演出は見事なものだ。しかも、こんなストーリーってありなの?って、あきれること請け合いだ。
したがってニコ生放送では、絶賛絶賛の連続。彼に“名匠”という称号を上げてもいいとさえ思っている。今や小津安二郎クラスに匹敵する監督だと思っている。表面上だけで褒めているのでなく心底、尊敬している。が、いくら名監督といえども、全作が傑作だとは、いえない。阪本監督は、大作はイマイチだなあ、という感じはある。だから私が傑作だと思っている作品は、小品、というべき、予算の厳しいものだ。阪本監督本人に言わせると、自由度がある、そうな。なるほどね、と納得。私があまりに、大作はイマイチ、と強調するものだから、大作は大作として挑戦してみたいと思う、と言う。その発言ももっともだと思う。あまり、大作がイマイチ、と言い過ぎると監督としての仕事が来なくなっても困る、と言われて、それもそうだと、反省。
私はこれまで私より年長の巨匠といわれる監督たちを目標に学びたいと思ってきた。がその考えに変化がでてきた。阪本監督は私より一回りほど年令はしただが、私より若い人のなかに、うまい人がいれば、その若い監督から学ぶべき、だと思えるようになった。その第一人者が阪本順治監督であることは紛れないことだが。
(2016.6.30記)
第1回「阪本順治篇」無事、終了しました。いやあ、私としては実に充実した時間でした。阪本監督はこちらの質問に対して率直に答えてくれていることがビンビン伝わり、爽快でした。
さて、“原一男ニコ生「CINEMA 塾」”と看板を掛け替えての第1回目だし、何か目新しいことはないものか?と思い、アメリカの「アクターズスタジオ」を思い出し、真似てみることを思いついた。さっそく10の質問事項をスタッフと練った。
● あなたにお聞きします。正直に答えてください。
という前振りがあって…
① 自分は、世界の中でもトップクラスの監督である、と思ってる?
② 自分の作品の中で、どの作品が、最高傑作だと思ってる?
③ 自分の作品の中で、どの作品が、失敗作だと思ってる?
④ どの作品が、最もヒットしたの?
⑤ どの作品が、最もコケたの?
⑥ あなたが、これまで殺したいと思った人、何人いますか?
⑦ 女優と付き合ったことは、ありますか?
⑧ 最近、いたしたのは、いつですか?
⑨ この世で最も、イヤなこと? 嫌いなこと? 憎むこと?
⑩ 映画監督で食えなくなったら、どんな職業を探しますか?
どうだろう?
この質問を番組の最初にするか、終わりの〆にするか、と議論。私は終わりの〆でいいかと考えたが、スタッフが冒頭の方がいいと主張、中身のアレコレ質問するヒントになるから、と言う。なるほど、そうかも、と同意した。
で、こちらの発想としては、番組のスタートは軽く入ったほうがいいだろう、と考えたわけだが、果たして“軽く”入れたのかどうか?
いやあ、阪本監督は、けっこう考え込んでしまって、隣に座っている私としては、アレレ、これは軽くなかったかな?と後悔の念が起きてしまったくらい。
あくまでも、イントロなんだし、軽いジャブのつもりなのだが…。が、彼は、根が真面目なんだろうなあ、と再認識。マジに、笑い飛ばし、はぐらかし、冗談でもかまわない、くらいの気持ちだったが、一つ一つの質問に真っ当に答えてくれたのだ。それはそれで、きっちり濃い反応ではあったが。
この10の質問の中で最も気がかりだったのは、「⑧最近、いたしたのは、いつですか?」だ。あまりにもプライベートな内容であることは、私だって分かっていた。こんなヤバイ質問、OKかなあ、と迷ったが、スタッフは、豪快に大丈夫ですよ、と言う。もともとの私が書いていた質問は少しアプローチが違ったのだが、「原さんが聞きたいのは、結局は性のことですよね?わざわざ遠回しに聞くぐらいなら、直接聞く方が原さんらしいですし、ゲストもちゃんとそれなりに答えてくれますよ」と。
まあ、軽いノリでいいんだから、と自分を納得させた。それに“どぎつい質問の原”が売りでもあったし、その売りを裏切ってはいけない、という“責任感”もあったし。
でも、驚くべき“生真面目さ”と言うべきか、彼は、キチンと恥ずかしがらず、逃げずに、自分のプライベートな部分を話してくれた。内容は、放送を聞いてもらうとして。
性の部分は、人それぞれ。だが、どんな内容であれ、性の話は“不思議感”がある。
対談が終わって、大きく私の心の中に残っているのは、彼は“実に様々なことについて考える”ということだ。それは感動するくらいに、である。彼は、現場に行く前に、台本上でカット割りを、4回くらい、やるのだそうだ。キチンと鉛筆で線を引いて。それが現場に行き、役者が動き始めると、割らなくていいんだ、と思ってしまう、という話には、笑ってしまったが。
ともかく、トークが終わって私はすっかり、彼が気に入ってしまった。旧知の仲、のような感覚だ。また、どこかで、じっくり話し込みたいものだ、と思っている。
(2016.2.1記)
待ちに待ったタイトルが正式に決まった。
「ドキュメンタリーは格闘技である 原一男vs 深作欣二、今村昌平、大島渚、新藤兼人」。
どうだろう? オモシロそう!って思ってもらえるだろうか?
ドキュメンタリーを長年、作ってきた身からすれば、まさに「格闘技」という表現は、実感そのもの。ピッタシなんだけどね。
原稿も全部、入稿が終わり、ただいま校正ちゅうだが、その作業も終わり。
表紙に使用する写真も、横田弘と新宿・歩行者天国へ出かけた時、横田弘が自分の詩を聞け、と“暴力的に観客を巻き込む”ためのアクションシーンを地下プロムナードでロケを敢行したときのスナップでいこう、と結論が出た。
20年来の念願、いや、悲願と言っていい、その本が、刻々と世にでる、その日を待っている、というところである。
私としては、現在、私だけ(ほかに関係者を含むけれど)が面白さを知っているわけだが、一刻も早く、この面白さを多くの人に知ってもらって、共有したいのである。
本の末尾に、「CINEMA塾」でゲストとしてお呼びした方々のリストを載せておいた。今さらながら、凄い方々に来ていただいたものだと我ながら感心する。原則として、ゲストの講座は記録をとってあるので、第2弾、第3弾と出版できる材料はあるわけだ。第1弾が売れてくれれば、それも夢ではなくなる。
この出版を記念して、渋谷シネマ・ヴェーラで、この本の内容とリンクする形のプログラムを組んでの上映が始まる。
そもそもの“言い出しっぺ”の私(たち)の作品はもとより、4巨匠の作品もラインナップされている。各巨匠と縁の深いゲストもお呼びする。是非、ご期待を!
(2016.1.26 記)
1月6日、新宿「ネイキッドロフト」で、「原一男大新年会」なるイベントを開催。能町みね子、吉田豪のお二人にゲストとして参加して頂いた。
ディメンションから疾走プロ作品「さようならCP」「極私的エロス・恋歌1974」「全身小説家」が発売され、そのPRのために、が狙いだ。
このイベントに関心を持ってもらえるのかどうか不安だったが年内に予約チケットが完売だったそうで、ホッと安堵の胸をなで下ろす。
さて重要なのはイベントの中身。当節、こうした“生の声を直接、聞く”というタイプのイベントに観客が集まらなくなってきている、という話を最近聞いた。ならばなおこと、イベントをオモシロく盛り上げないことには、ますます自分たちの首を絞めることになる、と戦々恐々という気分で当日を迎えた私。
さて、強力なゲストのパワー頼み。吉田豪さん、さすがですねえ。奥崎謙三の、今はレアとなって入手不能な本をほとんど蒐集されている。したがって、奥崎謙三が、いかに悪文であるか、から話題はスタート。
能町みね子さんは、性転換というドラマチックな経験をした人なので、その性転換したことによる、膣がどれだけ快感をもたらしてくれたのか?を根堀り葉堀り、具体的に聞いていく。
で、私は私で何か「芸」をお見せしなければと悩む。“まな板の鯉”とばかり、いいようにしてください、と受け身じゃいけない。と悩んだところで“芸人”じゃないので、自分の恥を晒すことくらいしかできない。恥なら、自慢じゃないが、アレコレとてんこ盛りにある。「またの日の知華」のときに、桃井かおりからめっちゃお説教をくらい、ワンワン泣きまくったエピソード。奥崎さんがニューギニアロケのときに性に目覚めたわけだが、そのきっかけを作ったのは私であること。そのあと、インドネシアで、奥崎さんがセックスをしたいきさつ、そして自分の子どもを産んで欲しいとお願いをする、是非その場面を撮って欲しいと頼まれたエピソード。「全身小説家」で一番“嘘つき”なのは井上光晴ではなく瀬戸内寂聴であると埴谷雄高さんが指摘したというエピソード。
当日、お話したことの全部をここで再現することは到底無理。ディティールを知りたい方はやはり当日会場に来て頂くしかなかったですねえ。来て頂いた方たちに対しては、ホントに有り難いと思う。DVDを2枚買ってくれた人もいて、作り手にとってはこれ以上の励みはないのである。
能町みね子さんと吉田豪さん、おふたりのファンの方、ありがとうございました。そして疾走プロ作品のファンの方もありがとうございました。
(2016.01.13記)
今回の「ラジオ出演」が奇しくも、今年の、充実した仕事始めになりました。
ありがとうございます。
昨年の11月に出演して今回が2度目。少しだけ慣れたかな、という実感があって、気持ち的には落ち着いて、現場入り。ディレクターと顔を合わせて、流れについて打ち合わせ。心の準備をして、いざ、On Air。
始まってみると……打ち合わせの時に、おおよそ、こんなことを喋ろうかな、と用意しておいたんだが、微妙に、というか、かなり、というか、話の方向がずれてくる。内心、慌てているのだが、止まるわけにはいかない。こちらも、こうしたトークというもの、上映会場であれ、テレビであれ、ラジオであれ、エンターテイメントであるべき、という考え方があるので、どうしても、やや過剰にサービス精神が旺盛になってしまう。いかん、いかん、と心の中でブレーキをかけようとするのだが、難しいもんだなあ、これが止まらないんだよな。
話題は「テロリスト宣言」のようなもの。今時、このテーマってけっこうヤバいよね。例によって奥崎謙三の生き様を引き合いに出しながら、持論を展開するのだが、“低空飛行”って感じだ。反感を買うかな、と不安だったが、えーい、ままよ!とばかり、突っ切る。
荻上さんが、ホントに“ノセ上手”だもの。ついつい喋り過ぎてしまう!
「極私的ラジオ論」になるが……。事前の打ち合わせには、荻上さんは参加していない。構成を立てたディレクターとでやる。でスタジオに入って本番になるわけだが、荻上さんは、構成台本を手にしてはいる。が、その通り、というふうには進まない。意図的に外すのか、荻上さんなりの狙いがあってなのかどうか? が多分、構成台本通りに進んだとしたら、終わってみれば、そこそこだったね、となるんだろうなあ。ともかく、外されるものだから、内心、こちらとしては慌てて、武装していないものだから、日頃考えている本音がポロリとでてしまう。いや、批判的に言っているわけではないんです!その面白さを狙っているんだろうなあ、という気がする。それはドキュメンタリーでの被写体との駆け引きと同質なんだと思う。
ごく最近、Twitterで、質問を受けました。現在の私にとって、すごく“痛い”ポイントを突いたものでした。だから精一杯に答えを書きました。
今後の私自身の“指標”となる内容ですので、ここに再現しておきます。
(Q)原さんにズバリ1つだけお伺いしたいことがあります。原さんはこれから撮られるであろうドキュメンタリー映画は奥崎謙三さん以上の被写体に出会わなければあの伝説の映画『ゆきゆきて、神軍』は越えられないと思われますか?
(A)ズバリお答えします。 私がこだわってきた方法論というものがあって描かれたのが「神軍」です。その方法論にこだわっている限り、奥崎さん以上の被写体は今、存在しないので、したがって「神軍」を越える作品は作れないということになります。
ではどうすればいいか? 今までこだわってきた方法論を変える以外にありません。ですが方法論とは生き方とイコールですから、そう簡単に生き方を変えられないように、方法論を変えることは、相当に困難な作業になります。
とにかくこの10数年間、別の方法論を見つけたいと願って悪戦苦闘してきましたが、未だに見つかったという実感はありません。 ですから、まだまだ苦闘は続きます。「神軍」を越える作品を撮りたいと思っていますから、頑張るしかありません。
(Q)大変丁寧にお答え頂きありがとうございました。おおかたは理解を致しましたが、どうも「方法論とは生き方とイコール…」という点が私には理解というか違和感が残りました。方法論と生き方が相反することは映画には何も問題がないように思えます。つまり別人格だと…。
(A)方法論という考え方をどのように捉えるかは、作り手によって様々でしょう。単に作り方のテクニックという考え方もあると思います。 しかし私たちは「自主制作・自主上映」という形でしか自分が作りたいものを作れる状況がなかったわけです。
そのことを悔いてるわけでもなく、ツライと思ったわけでもありません。ただ現実を説明しているだけのことですが、制作資金を借金し、生活の全てを、具体的にいうと子どもたちと付き合う時間を潰してまで映画制作に没頭する私たち(夫婦)。そんな私たちにとって、映画を作るって何?と考えざるを得ません。 どんな映画を作りたいのか? 何故、今、作らなければならないのか? 自問自答を繰り返しながら作っていきます。 完成したら、今度は借金を返すために必死に上映運動をします。借金を返さなければ、次回作が可能にならないからです。 こういう切羽詰まった状況の中で映画を作っていると、自分がどういう生き方をしたいのか?という問いと自然に重なってきます。 映画をつくることの意味が生きることの意味と重なります。
私が職業監督として、つまりギャラをもらっての映画作りをしてきたなら、別の考え方をしたでしょう。が一貫して自主制作ということは、自分が描くべきテーマをどこからみつけるか?というと生き方の中からしかないわけです。
テーマが見つかったら次は、どう描くか?と方法論を考えます。 その方法論を見つけるにあたって、どこからヒントを引っ張りだしてくるか? というと現実の人間関係の中から、なわけです。 どこまでいっても自分の生き方と方法論とが重なります。
ということですが…伝わったでしょうか? 方法論が生き方とイコール、という考え方は劇映画の監督の中にもいらっしゃいます。深作欣二監督や浦山桐郎監督です。 この話はまた別の機会にしましょう。 とりあえず返答になったでしょうか?
(Q)ご返答、ありがとうございました。自主制作・自主上映にこだわった結果が方法論イコール生き方に繋がっている。大変良く理解出来ました。しかしそうなると「ゆきゆきて、神軍」の時期と今では状況も変わり、撮影する際の原さん自身の「初期衝動」のようなものは持続出来るのでしょうか?
「極私的エロス」にせよ、「さようならCP」にせよ、「ゆきゆきて、神軍」にせよ、被写体同様、原さんご自身の「初期衝動」みたいなモノがフィルムに定着してるように思うんです。だから、仮に「初期衝動」が枯渇されてるならその方法論が果たして可能なのかがどうしても疑わしいのです、ファンとして…。
(A)「初期衝動」とおっしゃっていることを私は「表現衝動」と呼んでいます。この「表現衝動」は、人間は等しく誰でももっているものと考えています。人によって強弱はあるでしょうが。その「表現衝動」は一生持続するはずのものです。年をとるとその衝動が薄くなるかというとそうではありません。
「衝動」自体のエネルギーは原則、一生かけて同じ。ですが若い人と比べて、年寄りは生きられる絶対時間が少ないわけです。ですから「衝動」を残りの時間を割ると年寄りの方が値が高くなります。つまり「衝動」が濃く高いレベルであるということになります。
おっしゃりたいことは……年をとった私の「衝動」が若かった時に比べて劣ってきているのではないか?というご懸念ですよね? その指摘、よく分かります。一般的には、その指摘が当たっている人が多いですもんね。ですが私は、実感として「表現衝動」が劣化してきているという感じはないです。
というより、むしろ強くなっていると感じています。
ただ、昭和という時代は「表現衝動」を後押ししてくれてました。が平成という時代は「表現衝動」を実現すようとすると、足を引っ張られてしまいます。
こんな困難な時代の中で、そんな時代を撃つ方法論を確立するのは、かなり困難だと日々、考えています。
これまで10年間試行錯誤してきたつもりですがこの課題を克服し得たとは思えません。これは「永久革命」に似た事業ですので、くたばる最後の最後まで、勝負は分からないでしょう。
今言えることは、Never Give Up!
ただただ、前を向いて、歩いていくだけです。
(Q)改めて原さんは原さんなんだなと再認識を致しました。原さんの足下にも及びませんが私も最後の最後まで駆け抜けたいと思います。
(A)そうですね(苦笑)。“私は、どこまでいっても私なんですよね”。
アレコレお答えしましたが、正直に言いますと“公式見解”的な答かなあ、と認める私がいます。そもそもの問いは「神軍」以上の作品を原さんは今後、撮れないんじゃないか?というものでした。その不安は、私自身の中に根強くあります。ああ…俺は、生涯の代表作と後世の人が評価してくれるのは「神軍」だけなのか?と。で、「コンチクショウ!!!」と思うわけです。まだまだ撮ってみたい、と考えてる企画はあるわけですから、その作品を傑作にしてみせる!という野心が沸き起こるんですね。埴谷雄高さんの言葉ですが、「作家という者は、やりたいことを100%やりきる、ということはないわけですね。だいたい70%から80%やれれば立派なもんです」。私はまだまだ半分もいってないわけだから、まだまだ“やれる”と思うわけです。今まで述べてきたのは、自分へ向かって“檄を飛ばす”というノリのものです。そんなふうに自分自身を叱咤激励しながら、息を引き取る瞬間まで、走り抜けるんだ、と言い聞かせる毎日です。
(2015.12.18)
縁あってニコニコ動画をやることになり、今公開中の「ラスト・ナイツ」のキャンペーンで超多忙の中、紀里谷和明監督にゲストとしてお出でいただいた。
私と紀里谷和明監督という組み合わせ。何、これ?ミスマッチ?と訝しんだ人も多いようだが、私の方は彼に会う前から親近感を抱いていた。私は自主制作自主上映を長年やってきたが、ベースは違えども、彼も自主制作自主上映というノリ=精神で仕事をこなしているとみたからだ。
自主制作自主上映とは、たえず「パイオニア精神」を持ち続けなければならない。映画の技法なるものも、自分の現場で試行錯誤しなければならない。したがって自分の作品の現場が学びの場になる。第1作「CASSHERN」から第2作「GOEMN」、そして「ラスト・ナイト」と監督として着実に腕を上げてきている。CGを多用した初期の作品から今回の役者の肉体、感情をきっちり組み立てて見せるという技量が格段にアップしている。
師モーガン・フリーマンの首をクライヴ・オーウェンが刎ねる長いシーンの、緊迫した映像処理の見事さ。3作目にして世界に通用する技を身につけた紀里谷監督はホントに凄いと思う。この作品、撮影実数50日で撮りあげたと聞いて私は驚嘆した。プロの名に恥じない。私の読みでは、彼はもっともっと腕をあげて、大監督へと成長すると見ている。
この作品、5年かかったという。その苦労たるや、彼の話を聞きながら、凄まじい苦労だったと思う。精神のバランスを壊す寸前だったらしい。この良質なエンターテイメントを日本人は見といて損はないと思う。
11月3日にラジオ出演しました。
いやあ、私のスタッフが、なかなか厳しいタイプなので「前もって放送を聞いておきなさい」「番組が始まってすぐ“今日のニュース”のコーナーがあって、どのニュースが良かったか?とゲストは聞かれるから、その心の準備をしておくように」とか、やたらプレッシャーをかけてくる。でもスタッフのアドヴァイスは私には絶対なので素直に従う。しかし、“その場の瞬発力”で、これまで修羅場をくぐり抜けてきたので、まあ、何とかするから、と内心思っていた。
さて本番の30分前にTBSに。ディレクターと打ち合わせ。1時間のコーナーなのだが実質は40分少々かな。だいたいの流れは把握して、あとは、ノリだよ、って自分に言い聞かせる。
音楽を3曲選ぶコーナーがあって、私は下記の曲を。
① 「赤い橋」浅川マキ。
② 「織江の唄」山崎ハコ
③ 「真夜中のギター」千賀かほる
ちょっと暗いかなあ?と危惧。だって前日番組を聴いてたら、1曲目がベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」だったものだから。つい、そんな疑問を持ってしまったのだ。スタッフにどうかなあ?と相談すると、個人の好みだから、明るい曲に変えたかったらディレクターさんに連絡するから…というので、ま、いいか、と判断。
番組に出演して、何を喋ったかの詳しい説明は割愛するが、ラジオというものの本質って何…という極めて個人的な感想を。
まず、とにもかくにもひたすら喋っていなければならない、という強迫観念にも似た“おびえ”があった。私は、どちらかというと頭の回転が速くて、というタイプではない。むしろ若いときに“愚鈍”とからかわれたほど。だから機関銃のように言葉を乱射するのは苦手なのだ。だが、スタッフはそういうことを要求しているんだな、という気配。仕方ない。
いざ始まってみると、質問に答えようとして、頭の中で整理できないにうちに言葉が口から出ているのだが、喋りながら呂律が回っていないというのが自分でも分かる。したがって、頭の中では完全にパニック状態だった。だが救いは、荻上チキ氏が私の話を受け止めて、うまァく話を整理、キチンと落としていってくれていることが分かってホッとしたことは覚えている。若いのに大したものだなあと感服。
番組が終わってから反省なのだが、今日は「さようならCP」の再発売をPRというのが主目的だったはず。にもかかわらず、話が水俣のことやら、アクションドキュメンタリー論のことやら、奥崎謙三の演技感覚のことやら、あっちに飛びこっちに飛び、いささか支離滅裂だったかなあ、と。そうはいうものの、司会の人がいて、私だけで流れを決めるわけじゃないしなあ。
ま、完全に浮き足立っていた私だったが、ホントにアッという間に終わってしまった。フーッ!
で、まだまだ、話し足りないなあ、と思っていたら、「是非、また、来てくれますか?」と言っていただいた。嬉しかったなあ!即、二つ返事。「ええ、ええ。喜んで!」
そんなわけで、次が実現したら、今度は、じっくりと落ち着いて語りたいと思っています。
「新藤兼人監督篇」の直しをやりながら、「おかしいなあ」と何度も呟いている。
前回、大島渚監督の“記憶違い”について考えたが、今度は私自身が“記憶違い”をしているようなのだ。自分では「絶対に講座で質問をしたハズだ。新藤さん、キチンと答えてくれたんだから」と思い込んでいるのだが、現実的には文字起こしの中には見当たらないわけだからどうしようもない。
どんな内容か?
新藤監督の作品の中にストーリーと直接関係ないように思われる場面で若い女優のオールヌードがでてくる。たいがい、ちょっと豊満な女優だ。へえ、新藤さんの好みかしら?と思いながら見てるわけだが、ストーリー的にはわざわざヌードでなくてもいいんじゃないかな?と思えるのだ。これが以前から気になっていたので、新藤監督に聞いてみた。
新藤監督、曰く「若い女優さんの裸を見たいという私の欲望ですね。」「監督の特権ですよ。そういう性の欲望があって、それができるから映画監督をやっているんですよ」と。その答えが実に率直で、なるほど、と大いに得心をし、大いに感動したものだ。このやり取りを是非、今回の本の中に入れておきたいと願っていたのに。 見当たらないのだ。変だなあ、と首をかしげてみるが見つからない。アテネでの講座の時に聞いたのではないとするとどこで聞いたのだろうか? そんな機会は他になかったはずなのだが。私にとっては、大切な大切な“インタビュー語録”なのだが見当たらないとあれば残念だが仕方ない。
本題に入ろう。
新藤兼人監督との対話は、ドラマとフィクションとの間を行ったり来たり、という話がメインになっている。文字起こしを読み返して思うことは、新藤監督は、愚直なまでに(否定的な意味ではなく)、次は、前にやったことではなく、何かしら新しいことをやってみる、そして一つずつ自らの実感で確認していく。その繰り返し。そんな実証主義とでもいえる精神に貫かれていることだ。 私はその態度に大いに心を動かされた。飽くなき探究心、という言い方があるが、まさしく、新藤監督の態度こそ、それだ。一つのやり方をやってみる。それを踏まえて次は別のやり方を試みる。で、さらに前へ前へ…そうかというと、そうでもないのだ。また元に戻って、再度試してみる、というしつこさ(これも否定的に言いたいわけではない)。
新藤監督曰く「これもドキュメンタリーとドラマの接近に近づきたいという、窮屈な考え方ですけど、しかしそこからひとつの方法論が生まれるでしょ。窮屈な考え方を設定していく、かぶせる…。その中から脱出するというのがひとつの映像論だと僕は思っているんですよね。」 文字通り、細部にこだわり、執拗に繰り返す、つまり自分を追い込んでいく。その中からしか、新しい方法論は出てこない、とおっしゃっている。至言ではないだろうか? 新藤監督から学ぶべきことは多い!
内容に関して、エピソードを一つだけ紹介しておこう。
私は思わず笑ってしまったのだが…。
新藤監督が師と仰ぐ溝口健二監督の『元禄忠臣蔵』(41)に、新藤監督が美術監督として現場についたときのこと。
「溝口健二監督の『元禄忠臣蔵』で、討ち入りの場面が止めになったんですよ。なぜやらないかというと、人を本当に斬れない、というんです。それは嘘でしょっていうわけ。吉良の討ち入りをして、そこで相手方と義士が斬り合いっこをやる。それは斬った真似をするわけですよね。本当に斬っちゃ、俳優が死んでしまいますから、それをやりません、と言い出したんですよ。僕は、これは非常に間違っていると思いますけど、溝口さんの原寸主義の『忠臣蔵』のなかではそれが許されない。それまで本当らしいことをやってきたのに、どうも討ち入りになって斬る真似なんかやっちゃおれないということになったんですよ。それは非常に映像の大きなテーマを語っていますね。事実をやるかやらないか。」
このエピソードは実に大きな問題提起を孕んでいる。例えば、こういう問いかけ。ホントに人を殺さなければ殺人の場面は撮れないのか?
一方で、セックスの場面は、単に真似事ではなく、実際にセックスをすることで“本物を求める”態度が前進した。AV(アダルトビデオ)である。
ホントにやってみないとリアルなものは表現できない、という態度、考え方は、我々の現場で採用することも多い。が、やってみることができないことも多々ある。その狭間で、我々は“リアルなもの”を追求しなければならないわけだ。新藤監督は、事例をもっと示しているのだが、それは本を読んで頂きたい。