2014年9月13日から「メディアゴン」で連載中。
2014年9月13日(土) ヴェネチア国際映画祭・金獅子賞『ローマ環状線めぐりゆく人生たち』に込められた監督のメタファー
2014年9月20日(土) ドキュメンタリー監督とはアジテーターでありオルガナイザーでなければならない
2014年9月29日(月) 三里塚闘争はドキュメンタリー映画を「撮る側」が当事者の青年たちを闘いの中心へと育てた
2014年10月6日(月) ドキュメンタリー映画とは「相手に撮らせてもらう」のか?「相手を撮ってあげる」のか?
2014年10月13日(月) <人間たちをドキュメンタリーで描く>小川紳介監督の「映画を作る態度」「覚悟」「美学」
2014年10月20日(月) 映画『さようならCP』の主人公に出会った脳性マヒ者たちの解放区「マハラバ村」
2014年10月27日(月) <障害者夫婦の権力関係>脳性マヒ者たちのコミューン「マハラバ村」はなぜ崩壊したのか?
2014年11月2日(日) <障害者が健常者にカメラを向ける>「撮る・撮られる」の固定した関係が生み出す「差別の構造」を壊す
2014年11月9日(日) <映画「さようならCP」の見えざる敵?>「健全者幻想」は「差別される側」からは「甘美」に見える
2014年11月17日(月) 1968年「新宿騒乱」で機動隊に投石できなかった臆病こそ「原一男映画」の原動力
2014年11月20日(木) <「ヒーロー不在」の平成>映画監督として「描きたい主人公に出会えない」絶望的状況
2014年12月2日(火) <完成しない二本の映画>表現者として生きようと願った自分が、今、生活者を相手に戸惑っている
2014年12月9日(火) マイケル・ムーアは「ゆきゆきて、神軍」をこれまでに見た最高の傑作ドキュメンタリーと言った。
2014年12月14日(日) <もっと怒れ、日本人>提訴後13人もの死者を出しても怒らない日本民衆の我慢強さ
2014年12月22日(月) <泉南アスベスト国家賠償請求訴訟>記者クラブが厚労省に言いなりだったことに唖然
2014年12月29日(月) <なぜ日本人は怒らないのか?>日本人に刷り込まれた「無垢な庶民像」
2015年1月5日(月) <映画にある2つの選択肢>ドラマの監督は一人だが、ドキュメンタリーならみんなが監督
2015年1月11日(日) しばらく奥崎謙三のことは忘れて「市井の人々」に目を向けてみよう。
2015年1月18日(日) <主人公=ヒーローはいるのか>主人公不在の「平成」で、どうやってドキュメンタリー映画を撮影すべきか?
2015年1月26日(月) <魂を揺さぶるご当地映画>「平成のヒーロー探し」として位置付けた「地域起こしのための映画作り」プロジェクト
2015年2月1日(日) <平成というクソみたいな時代の中で>「我こそは平成のヒーローである」と名乗り出るニッポン人は、どこにもいないのか?
2015年2月9日(月) <泉南アスベスト訴訟>謝罪に来るのだから、大臣であっても原告団は気おくれするな!
2015年9月27日(日)社会学者・小熊英二の初監督映画「首相官邸の前で」が訴える記録する者たちの心の叫び