「“ぶち”面白い映画を創りたい」と山口弁なら、そう言うだろう。
「“むちゃくちゃ”オモロイ映画、創りたい」、大阪弁なら、そう言うだろう。
度はずれたパワーがあって、血をたぎらせてくれる映画。人間って、こんなにも不思議で、けったいで、けど愛しいなあ、と観客が感嘆するほどに、人間をドラマチックに描いた映画。
そんな映画を見たいし、そして、創りたい。
しかるに現実は?
日本映画は、今まさに堕ちるところまで堕ちてしまった、全く魅力がない、という声をよく聞く。同感だ。だが、堕ちるところまで堕ちてしまったのは、果たして映画だけだろうか。このニッポンという私たちの国、国民。その総体が堕ちてしまっているのではないか。つまり、日本全体が堕ちてしまったから、映画も又、堕ちてしまったのではないか。
映画に描かれる主人公の感情には、主人公が日本人なら日本人の感情が、主人公が社会的弱者なら社会弱者の感情が、それぞれに込められる。日本映画に魅力はない、ということは映画に描くほどの魅力が、他ならぬ私たち日本人になくなってしまった、ということにならないか。日本映画の主人公のみならず、私たち自身がリアリティを感じなくなっている証拠ではないだろうか。
今必要なことは、まさに今、私たち自身が〈個〉として世界と向き合い、己の全身全霊を賭けてもう一度リアリティを取り戻すことだと思うのだ。
日本映画というジャンルは、既に崩壊してしまっている。今や世界映画の中で、日本映画への期待なんて塵芥みたいなものだ、と思い知るがいい。
だからこそ今問われるのは、映画への愛を、トコトン〈個〉が〈個〉の責任において引き受けるべきなのだ。
己の微力さは、己が最もよく知っているつもり。それでも、いい。今、大事なことは、とりあえず動き出すことだ。で、何から始める?
「CINEMA塾」を始めようと思う。
「CINEMA塾」は、独立型映画人を育てたい。自分が魂の底から創りたいと願う映画を創る。同時に、自分が創りたい映画を作る状況をも、自分で作る。自ら状況を切り開いていけるパワーを持った〈活動屋〉の育成。かくいう私自身も学びたいし、〈活動屋〉として、さらに鍛えあげていきたい。
「CINEMA塾」では、固定した教室を持たない。人と出会う場が教室としよう。様々な人と出会う場をあちこち求めよう。求めるにはエネルギーが必要だし、お金もかかる。それらにかかるお金は、自前だ。身銭を切って、学ぼうではないか。
さあ、活動開始だ!
準備中です。しばらくお待ちください。
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私が『極私的エロス・恋歌1974』を監督してから40年が経ちます。 日本映画界にセルフドキュメンタリーの存在と面白さを知らしめたと評価されるこの映画の後も、今日にいたるまで様々な作品が送り出されています。
昨年では、日本映画監督協会の新人賞を受賞した「エンディングノート」。今年度では「かぞくのくに」がキネマ旬報のベスト1を始め各賞を多数獲得しているヤン・ヨンヒ監督の「ディア・ピョンヤン」など、セルフドキュメンタリーはその歩みを着実に進めている。
今回の講座では、世界の様々なセルフドキュメンタリーの作品を取り上げ、作り手自らその思いを語りながら、「私とは何か?」を深く掘り下げてみたいと考えています。さらに「私」という存在の仕方についても、考えてみたいのです。
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