そこからが、“茨の道”だった。毎回、薄氷を踏む思い。ああ、今月はパスするしかないのか!と諦めかけたことも、しばしばだったのだ。友だちの友だちは友だち、と伝を手繰って、何とか「原監督のお手伝いなら喜んでやりましょう」と会社を起こしたばかりの若い人たちが言ってくれた。嬉しかったなあ! On Airするためには、放送機器類、操作できるスタッフ、スタジオの3点が必要なのだが、この新しい会社の人たちは、全部、提供してくれるという。有り難かった。阪本順治、遊山直奇、再び阪本順治、岸善幸、西原孝至と続いた。が、会社を起こしたばかりで、その会社を大きくしなければならず、私たちへの協力が次第に負担になってきた。そりゃそうだろうと思う。もうこれ以上の協力は難しい、ということになった。やむなく次を探した。ネット番組を配信しているある団体が、スタジオと機材も含めて1万円という格安で貸してくれることになった。ここで橋口亮輔、東陽一、深田晃司と無事に放送できた。で、スタッフの一人が自分の仕事の関係上、次回は参加できない、つまりそのスタッフが参加することで貸してもらっていたのだが、そのスタッフが不参加なのでそこが貸してもらえないことになった。またまた苦境に。小さな居酒屋でいったん話が決まった。が、直前になって、難しくなったと断ってきた。万事休す! 今回はパスするしかないのか、と落ち込んでいたがスタッフの粘りで奇跡的に高円寺のライブハウス店と出会えた。会場費は要らない。ただし、場所代の代わりに観客からドリンク代として1000円を頂く、ということで話がまとまった。この時に、ライブハウスなので、ニコ生用の機材はない。ならば、ということで、新規に買い揃えることに。約20万円の出費。ここで平山秀幸。そして再び、ある団体のスタジオでやれることになり、そこで細野辰興。