ドキュメンタリー映画の鬼才 原一男公式サイト

原一男facebook
原一男twitter

原一男の日々是好日 ―ちょっと早目の遺言のような繰り言―

トップページ > 原一男の日々是好日 > ニコ生「CINEMA塾」は、危急存亡!
崖っぷちの連続の1年間だった!
今年も“さすらいの、ニコ生「CINEMA塾」だ!?
 ニコ生を始めたのは、原稿を寄稿していた縁で「メディアゴン」から「ニコ生を始めたんですが、何かオモシロいこと、やってみませんか?」と誘われたのがきっかけだった。「機材も送り出しのスタッフもこちらで全部やりますから」と言われ、では中身だけに集中してやればいいんだ、ならば、「CINEMA塾」をやってきたノリでなら“昔取った杵柄”だ、やれるだろう、と思い引き受けた。

 その時々に、新作が公開されるタイミングの監督をゲストに招き、率直に映画に関するトークを展開するというもの。1回目のゲストは紀里谷和明、2回目のゲストは塚本晋也と、中身はそれなりに濃いトークになったハズ。が、送り出しの機材関連でトラブルが発生した。私に声をかけた「メディアゴン」が用意したスタッフもニコ生に慣れていたわけではない。彼らとて試行錯誤でスタート。だが、トラブルが発生したことより、その時の対応で「メディアゴン」のスタッフに不信感を抱いてしまった。2回目のOn Airのあと、私は「こんなにトラブルが連続して発生するようでは視聴者に対して責任がとれないじゃないか! ニコ生で番組を主宰する資格なんかない!とキツい批判をツイッター上にアップした。ネットメディアはトラブルが起きやすいものだよ、と周囲の人たちが教えてくれたのだが、後の祭り。私のツイッターを目にして主宰者が切れた。「私たちは降ります」と。何だよ! そちらが誘っておきながら無責任な! と怒りが増幅した。

 さて、どうしたものか? と思案したが、次回の予告を既にしていたのだ。だから、今さら「主宰者がおりましたから、辞めます」というわけにはいかないよな、と私のスタッフの島野君と相談。「じゃあ、自主制作でやるか!」と継続を決意したのだった。

 そこからが、“茨の道”だった。毎回、薄氷を踏む思い。ああ、今月はパスするしかないのか!と諦めかけたことも、しばしばだったのだ。友だちの友だちは友だち、と伝を手繰って、何とか「原監督のお手伝いなら喜んでやりましょう」と会社を起こしたばかりの若い人たちが言ってくれた。嬉しかったなあ! On Airするためには、放送機器類、操作できるスタッフ、スタジオの3点が必要なのだが、この新しい会社の人たちは、全部、提供してくれるという。有り難かった。阪本順治、遊山直奇、再び阪本順治、岸善幸、西原孝至と続いた。が、会社を起こしたばかりで、その会社を大きくしなければならず、私たちへの協力が次第に負担になってきた。そりゃそうだろうと思う。もうこれ以上の協力は難しい、ということになった。やむなく次を探した。ネット番組を配信しているある団体が、スタジオと機材も含めて1万円という格安で貸してくれることになった。ここで橋口亮輔、東陽一、深田晃司と無事に放送できた。で、スタッフの一人が自分の仕事の関係上、次回は参加できない、つまりそのスタッフが参加することで貸してもらっていたのだが、そのスタッフが不参加なのでそこが貸してもらえないことになった。またまた苦境に。小さな居酒屋でいったん話が決まった。が、直前になって、難しくなったと断ってきた。万事休す! 今回はパスするしかないのか、と落ち込んでいたがスタッフの粘りで奇跡的に高円寺のライブハウス店と出会えた。会場費は要らない。ただし、場所代の代わりに観客からドリンク代として1000円を頂く、ということで話がまとまった。この時に、ライブハウスなので、ニコ生用の機材はない。ならば、ということで、新規に買い揃えることに。約20万円の出費。ここで平山秀幸。そして再び、ある団体のスタジオでやれることになり、そこで細野辰興。

 我が番組の看板だが、スタート時は、ニコニコ生放送「メディアゴンチャンネル」【原一男 ゆきゆきてシネマ 過激にトークを! 自由にバトルを!】と名乗っていたのだが、自主制作に踏み切ってからは、【原一男のニコ生「CINEMA塾」】に改称した。番組のスタッフだが、無論ギャラなんか払えるわけもなくボランティア。だから、各スタッフの空き時間を調整しながらになる。  こんな不安定で“綱渡り”状態の中を、スタッフの脅威の粘りで、メディアゴンからカウントすると計12回、On Airできたわけだ。これだけでも奇跡に近いと思っている。

 ハード的な問題点は、毎回、起きているが、ここでは触れない、内容に関しては、感じるところはアレコレある。ゲストの年齢層だが、何せ私自身が70才を越える立派な“高齢者”。だから私より年長のゲストは必然的に希少になる。東陽一監督のみである。あとは、全部私より若い監督だ。率直に言って私の好み、と “食わず嫌い”で避けてきた監督を呼ぼうか、ということになり、学習のために以前の作品をまとめて、じっくり観るわけだが、そんなふうに集中して観てみると、これが実に勉強になる。今時の言い方をすれば、リテラシーの勉強になるのだ。私はこれまで自分より年長の先輩監督に注目して学ぼうという意識が極めて強かった。が、若い人を舐めてはいけない、と強く反省。才能豊かだなあ、と自分の不明を恥じることが、しばしば。放送時間は2時間。この時間は、集中してゲスト監督に質問をぶつけるわけで、かなり濃密な時間なのだ。終わるとグッタリと疲労感がある。が決して不快な感じはない。教えてもらったなあ、という喜びで満たされる。 年が明けて、まだまだ続けられる体力はある、と思っている。ゲストも監督だけでなく、出演者も呼びたい。出張ニコ生、つまり地方や、大学等へ出かけることもやってみたい。我が番組の置かれている状況は厳しいが、夢は広がっているのである。
(2017.1.3記)
PageTop