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原一男の日々是好日 ―ちょっと早目の遺言のような繰り言―

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「山形」に続いて、「釜山国際映画祭」に参加してきました。「釜山」も、私(たち)にとって重要な体験になりました。記録に残しておきたいと思い、書きました。

「釜山国際映画祭」極私的レポート

   幸いにも私たちの作品が「釜山国際映画祭」コンペティション部門に入ったことは山形でも知っている人がたくさんいた。そんな知人から「釜山で賞が取れると思うよ。頑張って!」と声をかけられた。「ん?」「釜山なら賞が取れる、ってどういう意味だ?」と、考えれば考えるほど、不可解だなあ、と引っかかった。「山形」で賞を取れなかった私の悔しい思いを知ってて励ましの言葉なのか? 単なる激励の言葉なのか? それにしても励まされれば励まされるほど、私にとっては、プレッシャーではあった。

 釜山映画祭に関しては、韓国の行政側の介入があり映画祭事務局内部に混乱をきたしているというニュースが伝わってきていた。その影響だろう、事務局とやりとりを担っているスタッフの島野君がひどく苦労していた。財政的にも相当厳しいようで、招待枠は私一人、4泊分のホテル代と飛行機のチケット代のみ。今回の作品は、これまでの疾走プロにはなかった海外へ積極的に出ていこうという方針を打ち出し、海外映画祭事情に詳しい黒岩さんとスタッフの島野君との3人で臨むことにしたのだ。が黒岩、島野の分は持ち出しである。その経費を節約するために飛行機をLCCにするなど、いつもながら我々には貧乏であるがゆえの悲哀感がつきまとう。

 貧乏談義はさておき、釜山に着き、空港から市内ホテルへ向かう車窓から見る釜山の都市の景観に驚いた。実に近代都市だった。上へ上へと伸びる高層ビルが林立。それらがみんな新しい。そして、まだ空間に余裕がある。未だ未だ大きく発展していくんだろうなあ、と思う。ホテルに着いてまた驚いた。映画祭のボランティアスタッフが大勢働いていたが、みんな若い。高校生かと見まがうが大学生だろう。キビキビした応対が実に心地いい。アジア最大、世界で4番目の映画祭を標榜していることが納得できる。

 釜山国際映画祭は、劇映画とドキュメンタリー、アニメも含めて総合的な映画祭。日本からも劇映画が20数本、出品。上映される。当然、監督、主演女優の登場など華やかな演出が展開されただろう。がそれらは前半に集中していて我らが釜山入りした時は、映画祭特有の喧噪も収まり、我らのドキュメンタリーは後半に組まれていて、かなり静かな雰囲気だった。

 さて、到着した翌日に我らの上映が組まれている。山形に続いて大阪泉南から原告団、市民の会から7名、現地入り。上映会場は釜山の新しい街のエリアにあるシネコン。上映が終わって、Q&A。山形同様に、泉南の人たちを紹介。そして作品にも登場する韓国でアスベスト被害と闘っている人たちも、この場に合流、参加してくれたのだ。この時の司会を、韓国の若手のムン・ジョンヒョン監督が自ら志願してくれた。韓国の映画状況に疎い私のためにスタッフが入手してくれて彼の作品「龍山」をDVDで出発前日に見たばかり。いやあ、なかなかの力作だった。実は、彼は司会をやるにあたって、40以上の質問項目を用意したそうだ。そのことを後で聞かされたわけだが、申し訳なかったと思う。出演者である日韓の被害者の人たちに登場してもらうと、映画に関する話題よりも彼らの運動の話題になってしまう。私としてはムン・ジョンヒョン監督とは別の機会に会ってじっくり話したいと望んだが、果たせなかったのが残念だ。

 上映会が終わって日韓の被害者の人たちとの交流会。続いて食事会。ここで韓国でアスベスト被害救済の運動を展開している中年の男性から映画の感想を言いたいと話しかけられた。その彼の妻が、もう10年も前にアスベスト疾患でひどく苦しんで死んだ、という。映画を見ながら被害者の人が出てくると奥さんのことが思い出されて泣けて泣けて仕方なかったと涙混じりに語ってくれた。その話を聞きながら私ももらい泣きしてしまった。そうなのだ。泉南だって韓国だって今も現在進行形で死者が出ている。映画は完成したが、現実のアスベスト被害の闘いは終わっていないのだ。そのことを思うと胸が押しつぶされたような感じになる。

 次の上映日。会場にいき、上映後のQ&Aの打ち合わせをしているときだった。事務局の女性が現れた。「あなたたちの作品に賞をあげることが決まった。なので、授賞式の時のスピーチの原稿を用意して欲しい」と。「えっ!」「賞を?」と一瞬の戸惑いのあと、「わーい! 賞を取ったんだってよ! 原さん、良かったねえ!」と一番、喜んだのが島野君。大げさではなく、飛び上がらんばかりの喜びよう。が私は慎重だった。「賞っていうが、色々あるだろ? 何等賞なんだ?」と島野君に問う。慌てて島野君と黒岩さんが事務局の女性に確認する。「一等賞だって」人差し指をまっすぐ立てて私に答える。それを見て、フーッと体中の力が抜けた。そして「何かの間違いってあるからなあ」と呟いたのだった。誰かの悪い冗談って、あるかもなあ、と口の中でブチブチ。素直に喜べないのは、私の性格がいびつなせいか? 事務局の女性から、ただし、事務局から正式な発表があるまでは、誰にも知らせないでくれと念を押された。

 歓びに浸っている間もなく、まずはQ&Aだ。今日のQ&Aは「ナヌムの家」(1995)のビョン・ヨンジュ監督が司会を買って出てくれた。ビョン・ヨンジュ監督は、作品が完成して日本で上映されたときに来日し、そのときに会っている。そのピョン・ヨンジュ監督が、私たちの上映のために駆けつけてくれる、と聞いていた。姿を現した彼女に、再会を喜んだあと、今日はどこから駆けつけてくれたの、と聞いて驚いた。カナダから、この上映会に間に合うように来たんだそうな。ありがたいことである。前回の上映会に比べて、若い人が多い印象。あとで分かったのだが、ドキュメンタリーを学んでいる若い人が多かった、という。そのQ&A。ビョン・ヨンジュ監督が、極めて真面目に私のことを紹介し解説する。もっとフランクにやってもらっていいんだけど、と思うくらい。こうしたQ&Aについて、私なりに“一家言”がある。映画はドキュメンタリーであっても、エンターテイメントであるべき、それはQ&Aという場であっても、やはり同じくエンターテイメントであるべき、という態度だ。それは観客に媚びるということは意味しない。可能な限り、ホントのことを率直に語りかけることで観客の好奇心を刺激することと思っている。そういう私からするとピョン・ヨンジュ監督は、ずいぶん堅いなあ、という感じがしてならないのだが、一所懸命にやってくれてるし、観客席は、じっと耳を傾けている様子なので、見守るしかない。しかし、堅い調子は最後まで続き、終わった。

 その後、賞をもらえることの「喜びを日本に伝えましょう!」と島野君。「だけど、口止めされてるんだよ」「そうだよねえ。だけど小林さんくらい、いいでしょ」とまとまり、小林に電話。「賞をもらえるみたいだよ」とぼかし気味に。ああ、もどかしい! それでも、「そう! 良かったねえ!」と例によって甲高い声で喜んでる様子。ともあれ私は、肩の荷が下りたような気分だ。 嬉しいか? と聞かれればもちろん、嬉しい。が、嬉しいうというより、ホッとした心地といった方が率直な気持ちだ。

 翌朝、島野君が「柚岡さんから、賞をとったそうだがホントか?と電話がありましたよ。確認しますのでちょっと待って下さい、と答えておきましたが、どうします?」と言う。「え? ということは賞の発表があったわけか?」と混乱気味。黒岩さんが事務局に連絡する。どうやら朝のうちに公式に発表されたようなのだ。「じゃ、もう一度、柚岡さんに電話して、間違いなく受賞しました、と教えてあげよう」。島野君、再び柚岡さんに電話。「柚岡さん、大喜びでしたよ」と安堵した表情の島野君。

 さて最後の儀式、閉会式だ。会場に案内されてその広さにビックリ。巨大なスクリーンが3面並んでいる。スクリーンの前はフラットでゲスト中心に席が用意されていて、後方はスタンド席。その巨大さは、どう形容しようか。武道館は円型だがその円型を解いて横方向に真っ直ぐ延ばした感じと言えばいいだろうか。ゲストたちのエリアまでレッドカーペットが敷いてある。ゲストの名前が呼ばれ、登場し、レッドカーペットを歩く。それをクレーンに乗っけたカメラが追い、巨大なスクリーンに映し出される。わーっと観客席から歓声と拍手が響く。なかなか壮大な演出なのである。ドキュメンタリー畑の私は、このレッドカーペットを歩くのが、どうも苦手である。足がぎこちなく左右に揺れて真っ直ぐに歩けないのが自分でも分かる。。やがて授賞式。名前を呼ばれて壇上に上がると、会場の巨大さがよく見て取れる。プレゼンターから花束とブロンズを渡される。2分以内で、とキツく言われていたスピーチも緊張しつつも何とか言い切って、やれやれ。興奮のひとときが終わってクロージングパーティ。ここにきて、心底、ああ、終わったんだなあ! と気持ちが落ち着く、と内心では言いたかったのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。黒岩さんが、会場のあちこちに目線を走らせている。世界の国際映画祭の関係者はいないか、と探しているのだ。あ、あの人がいる、と見つけては近づき、「原さん、紹介しますね」と引き合わせる。そうなのだ。我々の任務は終わっていないのだ。世界の映画祭に売り込みに来たのだから。豪華に盛り付けられた料理に舌鼓を打ってる場合ではないのである。

 ともあれ「山形」から「釜山」へと国際映画祭への旅、第1弾は終わった。が年があけたら第2弾だ。どんな武勇伝が生まれるか、楽しみである。

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