監督メッセージ
奥崎謙三の映画を作ろうとした時、奥崎さん本人と、どんな映画を作ろうかとお互いに考えたことがある。私は、奥崎さんが天皇一家に向けてパチンコ玉を発射した真意と背景を探りたい、と考えていた。奥崎さんだって、人類を幸せにしない人間の作った法、ではなく神の作った法を作るべきだと主張していたから、基本は、私と奥崎さんの狙いがずれてはいなかったはずだ。観念的には。
しかし、奥崎さんが映画作りに当たって起こすアクションの具体的な内容が、奥崎さんと私では違っていた。私は、あくまでも戦争の実態に迫る何かにこだわりたい、と考えていた。だから奥崎さんと同じ部隊にいた元兵士たちを訪ねて取材をした。そして分かったのが、人肉事件のことや終戦後の処刑事件のこと。だが、奥崎さんは、戦場で起きた事件なんかに興味はなかったのだ。「戦後36年経った今、戦争時の話を映画にしても誰も興味を持ってくれませんよ」と言っていた。奥崎さんは、今、起きているトピックに対して果敢に挑んでいく神軍平等兵、というイメージを持っていたのだ。一つだけ例を挙げると、その当時、マスコミを賑わせていたのは教科書問題。奥崎さんから、こう言われた。「私、文部大臣の車に私の車をぶつけたろうと思うんです。是非、原さんにその場面を撮って頂きたい」と。他にも色々と奥崎さんは様々なアイデアを出してきた。だが、いまいちピンとこなかった私は、イエスと言わなかった。「元兵士たちを訪ねてみてください。間違いなく、何かがありますから」と説得する私に、ほとんど関心ないが、そこまで原さんがおっしゃるなら、いいですよ、と渋々OKしてくれたのだ。そんな経緯があって元兵士たちを訪ねていく、というストーリーが動き出していったわけだが、最初に尋ねた元兵士と殴り合いの事態に発展してしまった。だが収穫はあった。何かを隠しているな、と感じた奥崎さんは、俄然、強い興味を持ったのだ。そこまでは私としては良かったのだが奥崎さんは、事件の責任者である元中隊長を殺す決心をする。そこは、私の思惑を超えていた。
何が言いたいのか。奥崎さんが亡くなって10年以上経った今、あの時、私はかなり強引に奥崎さんを人肉事件、処刑事件の方に引き寄せたが、そうではなく、奥崎さんがやりたかったことをそのまま受け入れてあげれば良かったかなあ、と思うことがある。過去の出来事を、ああすれば良かったかなあ?
と選択しなかった方を、悔いを抱いて思い返しても全く意味のないことは知っている。だが、頭の中では分かっていても、どうしても、あの時、奥崎さん自身がやりたかったことを、そのまま、やっていれば、今の世の中の淀んだ息苦しさに奥崎謙三は風穴を開けたのかな、と夢想してしまうのである。
原一男監督プロフィール
1945 年6月、山口県宇部市生まれ。1972 年、小林佐智子と共に疾走プロダクションを設立。同年、『さようならCP』でデビュー。74年には『極私的エロス・恋歌 1974』を発表。87年の『ゆきゆきて、神軍』が大ヒットを記録、世界的に高い評価を得る。94年に『全身小説家』、05 年には初の劇映画となる 『またの日の知華』を監督。2017年に『ニッポン国VS泉南石綿村』を発表。2019年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にて、全作品が特集上映された。最新作『れいわ一揆』、『水俣曼荼羅』が公開待機中。
劇場コメント
仁藤 由美
(名古屋シネマテーク)
林 未来
(元町映画館)
過剰なる “人間” を思い出すために。
小坂 誠
(第七藝術劇場/シアターセブン)
のオーナ-の藤本さんは、東京の劇場に観に行き、奥崎さんの手配で妻シズミさんの命日に観客に配られた『神軍饅頭』の空箱を未だに大切に持っています。
興行は映画人生で相当インパクトあったようです。
宮嵜 善文
(NPOコミュニティシネマ松本CINEMAセレクト 理事長)