ドキュメンタリー映画の鬼才 原一男公式サイト

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プロフィール

原一男監督プロフィール
小林佐智子プロデューサープロフィール
原一男監督プロフィール
1945年(昭和20年)0歳
6月8日 末富アサの私生児として、宇部市の防空壕にて出生
1966年(昭和41年)21歳
4月上京。東京綜合写真専門学校に入学。 夏休みの課題のテーマを探してるときに重症心身障害児に出会いショックを受ける。 学校は約半年後に中退、障害者の世界にのめり込む。
1967年(昭和42年)22歳
この年、「マハラバ村」を訪ね、大仏空、横田弘、横塚晃一らと出会い、都立光明養護学校を訪ね、そこでアルバイトをしていた武田美由紀と出会う。
1968年(昭和43年)23歳
4月~東京都立光明養護学校で介助職員として勤務(1年2ケ月)。
1969年(昭和44年)24歳
7月15日~20日 銀座ニコンサロンで個展『ばかにすンな』。この会場で小林佐智子と出会う。(この頃、神奈川県大和に住む。) 秋 小林が映画を作りたいと提案。8ミリで撮影を始める。後に武田美由紀も参加。 (3人がそれぞれに関心のあることを撮ろうという方法。小林はベトナム留学生、武田は無意味な行為をやりたい、原は原爆漫画家・中沢啓治を撮ったものの完成に至らず。)
1970年(昭和45年)25歳
6月『私は現在を唄う・藤圭子6月の風景』に武田美由紀が出演。 (「わたしの火山」に感銘して村木良彦に会いにいったのが縁で、その村木氏が田原氏と組んだ番組で武田美由紀を起用した) 冬 東京12チャンネル『日本の花嫁』(田原総一朗演出)に親子3人(武田美由紀&零)で出演。ON AIRは翌1971年。
1971年(昭和46年)26歳
小林、土本監督に出会う。切抜き1枚からでも映画はできる、と励まされる。 原、小川プロに参加しようと考え、事務所を訪ねるが、対応をしてもらえず断念。 6月 『さようならCP』クランクイン。
1972年(昭和47年)27歳
2月 『さようならCP』が完成。その時に小林佐智子と「疾走プロダクション」を設立。 3月 『極私的エロス・恋歌1974』クランクイン。
1974年(昭和49年)29歳
4月 『極私的エロス・恋歌1974』完成。 (幡ヶ谷区民センターでの初上映が超満員で感激。2回目の上映が中野区民センター、原田芳雄が観客の中に。何回目かは忘れたが四谷公会堂での上映の時、大島渚が階段の列の中にいて感激) 第3作目をコミューンをテーマに作ろうという発想があって一軒家を借りて共同生活を始める。同時に無認可保育所「ごんべのお宿」をスタート。
1975年(昭和50年)30歳
 『極私的エロス・恋歌1974』が仏トノンレバン国際独立映画祭でグランプリを受賞。 TBS・TV『歴史はここに始まる・女たちは今⋯』を演出。 (共同生活の場で、参加した若い男と保母さんの確執等ですっかり嫌気がさして、半年で抜ける)
1978年(昭和53年)33歳
10月 普通自動車免許取得
1982年(昭和57年)37歳
『ゆきゆきて、神軍』クランクイン。
1986年(昭和61年)41歳
冬 熊井啓監督作品『海と毒薬』に監督補としてつく。
1987年(昭和62年)42歳
1月『ゆきゆきて、神軍』完成。 2月 日本映画監督協会「新人賞」を受賞。 2月 ベルリン国際映画祭に招待される。「ベルリン映画祭カリガリ映画賞」受賞。 8月 『「ゆきゆきて、神軍」製作ノート』を話の特集から出版。 12月 報知映画賞「最優秀監督賞」を受賞。
1988年(昭和63年)43歳
1月 毎日映画コンクール「監督賞」受賞。 1月 ブルーリボン賞「監督賞」を受賞。 2月 ロッテルダム映画祭で「批評家賞」を受賞。 3月 シネマ・デュ・レエル(パリ・ドキュメンタリー国際映画祭)「大賞」を受賞。 3月 ニューディレクターズ・ニューフィルムズ(ニューヨーク)で上映される。 冬 熊井啓監督作品『千利休 本覚坊遺文』に監督補としてつく。
1989年(平成1年)44歳
1月28日 「遠野」死亡。 12月 『全身小説家』撮影スタート。
1990年(平成2年)45歳
春 熊井啓監督作品『式部物語』に監督補としてつく。
1991年(平成3年)46歳
4~7月 ACC(Asian caltural Council)でニューヨーク留学。 12月~ 「文化庁1年派遣芸術家在外研修員」として、1年間ニューヨークに滞在。
1992年(平成4年)47歳
夏 ロバート・フラハティ・セミナーに参加。『ゆきゆきて、神軍』『極私的エロス・恋歌1974』上映、圧倒的人気を博す。 夏 TBD・TV『イエローキャブ』を演出。
1993年(平成5年)48歳
10月 山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員を務める。
1994年(平成6年)49歳
4月 『全身小説家』完成。 秋 熊井啓監督作品『深い河』に監督補としてつく。 10月「『全身小説家』もうひとつの井上光晴像」出版。 12月 報知映画賞「最優秀日本映画賞」を受賞。
1995年(平成7年)50歳
1月 毎日映画コンクール『日本映画大賞』を受賞。 1月 キネマ旬報ベストテン第1位「作品賞」、「日本映画監督賞」を受賞。 2月 ベルリン国際映画祭に招待される。 7月 福岡アジア映画祭で審査員を務める。 7月 『踏み越えるキャメラ』を出版。 8月 「HAGI世界映画芸術祭」で第1回「CINEMA塾」を開講。 (メインゲストは深作欣二監督&荻野目慶子) 9月 市川準監督作品『トキワ荘の青春』にコミック雑誌編集長役で役者デビュー。
1996年(平成8年) 51歳
2月 BONBAI国際映画祭で審査員を務める。 4月 関西テレビ制作ドキュメンタリー『映画監督浦山桐郎の肖像』の演出を引き受け、調査、撮影を開始。 4月~ アテネフランセ in 「CINEMA塾」を開講する(翌年1月まで6回)。 (1)5月17日~18日 田原総一朗(桃井かおり&白川和子) (2)8月9日~10日 今村昌平(石黒賢治) (3)10月18日~19日 新藤兼人(勝目貴久) (4)11月15日~16日 篠田正浩(粟津潔) (5)12月13日~14日 小川プロダクション (6)97年1月17日~18日 大島渚(牛山純一) 6月 NHK・BS『世界わが心の旅 渾沌の生』に出演、インド・ガンジス河源流を求めて旅をする。 8月 「HAGI世界映画芸術祭」で第2回「CINEMA塾」を開講。 (メインゲストは市川準監督&桃井かおり&堀越謙三&里中哲夫&小林佐智子)
1997年(平成9年)52歳
4月~ 早稲田大学第2文学部で非常勤講師を務める。 4月~ 日本映画学校2年映像ジャーナル科でスペシャルアドバイザーを務める。 8月 「HAGI世界映画芸術祭」で第3回「CINEMA塾」を開講。 (メインゲストは澤井信一郎監督&鷲尾いさ子&栗山富夫監督&佐藤雅夫プロデューサー) 10月 大阪で第1回OSAKA「CINEMA塾」を開講する。
1998年(平成10年)53歳
1月2日 関西テレビ『映画監督浦山桐郎の肖像』が放送される(24:25~)。 2月9日~17日 「全景工作室」の取材で台湾を訪問。 3月 シネマ・デュ・レエル「日本特集」に招待される。 4月~ 早稲田大学第1、第2文学部で客員教授を務める。(以後3年間) 4月~ 日本映画学校2年映像ジャーナル科でスペシャルアドバイザーを務める。 4月 『映画に憑かれて 浦山桐郎』を出版。 6月 放送文化基金賞「優秀賞」を受賞。 夏 第4回HAGI「CINEMA塾」は、初の「CINEMA塾」製作作品として『わたしの見島』の撮影を敢行する。(フィールドワークを塾生とともに春から開始、実景も同時に撮影を始める。翌年編集にとりかかり半年後に完成。つまり1年かかったわけである) 9月28日 NHK・ETV特集『原一男 島を撮る』が放送される。 10月7日 フジTV『映画監督 浦山桐郎の肖像』が放送される(25:30~)。 10月20日 NHKBS『旧街道を歩く 家族と向き合う旅』(風実と出演)が放送される。 10月 大阪で第2回OSAKA「CINEMA塾」を開講する。 11月 「萩市教育文化奨励賞・特別賞」を受賞。 11月 アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭で「My Top 10」選者。 12月 「アートネーチャー電撃黒潮隊大賞」審査員を務める。(以後5年間)
1999年(平成11年)54歳
6月 『わたしの見島』(「CINEMA塾」第一回作品)完成。 8月「HAGI世界映画芸術祭」で第5回「CINEMA塾」を開講。(メインゲストは黒木和雄監督)
2000年(平成12年)55歳
冬~春 紀伊國屋書店ビデオ評伝シリーズ『学問と情熱 第19巻 高群逸枝』を製作 4月~ 劇映画『またの日の知華』クランクインするが資金難のため撮影を中断 (約一ヶ月撮影が進んだ時点で)。 8月 『高群逸枝』が日本視聴覚教育協会「2000年優秀映像教材選奨優秀作品賞」を受賞 10月 大阪でOSAKA「CINEMA塾」を開講する。
2001年(平成13年)56歳
4月~ 日本映画学校専任講師(映像ジャーナル科3年担任)を務める。(以後2年間) 9月 OSAKA「CINEMA塾」“本気で映画を作ろう”講座開講。
2002年(平成14年)57歳
10月 OSAKA「CINEMA塾」塾生9作品が完成(課題「ニッポンの家族像」)。 12月15日 NHKウイークエンドスペシャル「ドキュメンタリーを撮る~原一男・「CINEMA塾」の一年」が放送される。
2003年(平成15年)58歳
4月~ 日本映画学校教育職員となり、映像科3年学年主任(映像ジャーナル科3年担任)を務める。 8月17日~9月17日『またの日の知華』再開ロケ 9月~ 大阪電気通信大学総合情報学部メディア情報文化学科教授を任命される。 (2・5年間) 12月10日『またの日の知華』初号 12月7日~ 出演作品『いたいふたり』(斎藤久志監督)がユーロスペースで公開。
2004年(平成16年)59歳
4月~ 日本映画学校副校長を任命される。(2年間) 12月 「ムーヴ」審査員を務める。(以後??年間)
2005年(平成17年)60歳
1月15日~「東急シネマズスクエア新宿」で『またの日の知華』公開される
2006年(平成18年)61歳
4月~ 大阪芸術大学映像学科教授を任命される。 4月~ 朝日カルチャーセンター講座「ドキュメンタリーする快楽」講師。
2007年(平成19年)62歳
4月12日~16日 ノースカロライナ州デュラム「Full Flame Documentary Film Festival」”The Power of Ten”にマイケル・ムーアが『ゆきゆきて、神軍』を選び、招待。マイケル・ムーアと初対面。 4月28日~5月14日 ミシガン大学「マイケル・ムーアvs原一男」で2度目の対面+シカゴ大学 6月1日~5日 NHK「課外授業 ようこそ先輩」大殿小学校ロケ。→7月7日ON AIR。 8月3日~5日 映像学会(京都府立ゼミナール会館)合宿に参加。 8月 近江八幡「中学生映画」ワークショップ。 11月4日~12月 リース映画祭に招待。
2008年(平成20年)63歳
7月 民放連審査員(九州・沖縄地区)を務める(以後?年間)。 9月14日「トンスラ」出演。
2009年(平成21年)64歳
11月3日~9日 SHEFFIELD Doc/Fest「Premier Inn」に招待。 12月 マイケル・ムーア初来日。12月4日大阪芸術大学に来校。 5月1日~11日 英語版「Camera Obtrusa:The Action Documentaries of Hara Kazuo(Kaya Press:New York)」出版。キャンペーンのためにカリフォルニア州+ニューヨーク各地を回る。
2010年(平成22年)65歳
4月10日~18日 ブエノス・アイレス【BAFICI】BUENOSU・AIRESU FESTIVAL INTERNACIONAL DE CINE INDEPENNDIENTEに招待。 4月26日~5月1日 中国・北京(May Festival「Filmmaker in Focus:Hara Kazuo」) 5月2日 リンジュアン記録映像祭に招待。 5月3日~6日 上海にて「上海戯劇院」「復旦大学」「上海大学」で講義。
2011年(平成23年)66歳
4月1日~9日 Spain/ラス・パルマス映画祭に招待。 4月10日~15日 マドリッドに招待。 11月10日~11月16日 ベルギー映画祭に招待。 12月17日 「結い魂」完成披露上映会at近江八幡市文化会館
2012年(平成24年)67歳
9月14日「命てなんぼなん?」完成上映会。
2013年(平成25年)68歳
6月12日~16日 「Sheffield Docfest Inspiration Award Winners」20名のうちの一人に選出される。 10月10日~16日 山形国際ドキュメンタリー映画祭「日本映画監督協会賞」審査委員長を務める。
2014年(平成26年)69歳
11月12日~23日 モントリオール国際ドキュメンタリー映画祭レトロスペクティブに招待。 4月26日~ new「CINEMA塾」開講(~15年3月28日/全12回)
小林佐智子プロデューサープロフィール
1946年(昭和21年)0歳
6月30日 新潟市生まれ。旧姓・頓所佐智子。 幼児期に小児マヒに罹り命はとりとめたが、後遺症で両脚に重度の障害が残る。
1954年(昭和29年)8歳
小林家の養女となる。
1969年(昭和44年)23歳
3月 新潟大学人文学部卒業。映画の仕事がしたい一心で、単身上京。昼は六本木の会社に勤め、夜は赤坂のシナリオ作家協会シナリオ研究所に通う。石堂淑朗、浦山桐郎ゼミの研究生となる。 7月19日 銀座ニコンサロン『ばかにすンな』展でフォトジャーナリストを志していた原一男と出会う。 10月 10.21国際反戦デー集会で「ドキュメント沖縄」製作アピールのチラシを配布。 呼びかけに応じたのは政治志向の運動家ばかり。途方に暮れた末、原一男に「一緒に映画を作ってもらえないか」と頼み込む。カメラさえ回してくれれば、大変なことは全部自分が引き受けると約束。
1972年(昭和47年)26歳
『さようならCP』製作。映画製作の拠点を疾走プロダクションと命名。
1973年(昭和48年)27歳
5月 長女・風実誕生。
1974年(昭和49年)28歳
『極私的エロス・恋歌1974』製作。
1975年(昭和50年)29歳
TBSTV『歴史はここに始まる・女達はいま‥‥』レポーター。 8月 長男・遠野誕生。
1986年(昭和61年)40歳
『町は虹いろ子ども色』脚本。(大澤豊監督/こぶしプロ製作)
1987年(昭和62年)41歳
『ゆきゆきて、神軍』製作。
1989年(平成1年)43歳
1月 遠野死去。
1992年(平成4年)46歳
TBSTV「ドキュメント・追跡731部隊」演出。
1994年(平成6年)48歳
『全身小説家』製作。第14回藤本賞・特別賞受賞。
1998年(平成10年)52歳
関西TV『映画監督浦山桐郎の肖像』構成。
2000年(平成12年)54歳
紀伊国屋書店ビデオ評伝シリーズ『学問と情熱 第19巻 高群逸枝』脚本。 『またの日の知華』撮影中断、製作延期。 日本映画学校映像ジャーナル科卒業制作特別講師を3年間担当。 平和・協同ジャーナリスト基金賞映像部門審査員を10年間務める。
2003年(平成15年)57歳
ビデオ作品『旅するわっぱーイタリア社会的協同組合を探ねて1・2—』演出。 『またの日の知華』製作再開。
2004年(平成16年)58歳
関西TV『花のいろは 歌舞伎役者・片岡仁左衛門』構成。 『またの日の知華』製作・脚本。
2006年(平成18年)60歳
4月 桜美林大学総合文化学群非常勤講師。
2007年(平成19年)61歳
4月 大阪芸術大学映像学科非常勤講師。
2011年(平成23年)65歳
4月、大阪芸術大学映像学科客員教授。
2012年(平成24年)66歳
DVD作品『命て なんぼなん? 泉南アスベスト禍を闘う』制作・構成。
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