原一男からは過激さは消えた、そう思っていた。 15年間の取材により、土本典昭とはまた異なる新たな形で水俣が終わらない闘争として提示される。 穏やかなまなざしで被写体と向き合いながら、私たちを闘争へ誘う原一男は未だ現役の「過激な」映画作家として生きていたのだ。