『水俣曼荼羅』は、どの角度から見ても「原一男らしくない」作品だろう。欧米の一流映画祭が追求する、映像アーカイヴの使用に堪能な高度にスタイル化されたエッセイ映画や、各種の映画祭ピッチイベントを通して、人気トピックを題材にして成功したドキュメンタリー映画などに比べると、『水俣曼荼羅』は、長年に渡り磨かれたその手腕のおかげで「手作り」の醍醐味に満ちている。グローバル化時代に注目されていない「水俣病」をテーマにすることから見ても、この映画は実に「頑固」な一作だと考えられる。しかし、映画における、もはや若くない原監督が水中撮影をする姿に感動した。私にとって、彼の水中の姿は既に象徴的なイメージになっている。このイメージから、原監督のアクションドキュメンタリーに見いだせるものは、単なるドキュメンタリー作家が「対象─主体」に介入する勇気だけではなく、どんな状況でもカメラを持ち込んで、自らに試練を課す直感と行動力だと意識した。それは、年齢と関係していない。おそらく、ドキュメンタリーに対する原監督の信念に関わっている─それ自体すら原一男然としていると感じるのだ。この点について、私は最大の敬意を表する。