2004年の秋、最高裁でチッソ水俣病関西訴訟の判決があり、「国と熊本県にも水俣病に責任がある」ということが、その日初めて確定した。その判決日から、原監督とスタッフは水俣病を撮り始めた。患者勝訴判決で水俣病が解決に向かうなら、それは遅すぎた取材だったかもしれない。ところが、その後も水俣の闘いは有為転変、いまも新潟水俣病含め約2000人が患者認定を申請中で、裁判も8件が係争中である。

カメラは、判決後の関西原告の姿を丁寧に追う。そこで医学像も問いつつ、続いて水俣現地での患者の暮らしや引き続く数々の訴訟をも描く。たびたびの勝訴判決、それでもなお、救済枠に収まり切れない被害。「水俣病は終わっていない」と私たちは言挙げし続けているが、百聞は一見に如かず。終わらぬ所以はこの映画の中で様々に開示される。

試写を観ながら「患者さんの世界は、光っている」という、20世紀の水俣病を撮り続けた故・土本典昭監督の言葉を思い出した。認定患者にも、未認定患者にも、水俣病の苦難と闘いは続いているけれど、それはまた、滋味にあふれ時に微笑ましい、海と地面に近いところで実直な暮らしを営み続ける人々の物語でもある。それが、原一男監督が記録した21世紀にも続いているのだ。一部で誤解を招いた「メチル水銀は人間性を損なう」との言説も、被害者たちの豊かな語りと映像の中で実証的に克服されたとみることもできる。

十数年撮り続けた映像を濃密に圧縮した三部作。6時間余は、あっという間だった。

久保田好生

東京・水俣病を告発する会、
季刊「水俣支援」編集部