『さようならCP』(1972)から『ニッポン国VS泉南石綿村』(2017)まで、そして一般公開間近の『水俣曼荼羅』まで、主要な被写体が異色の個人であっても、「ふつう」の生活者たちであっても、原一男監督の映像はいつも、概念化できない現実を、あらゆるストーリーからはみ出してしまう人間の相貌を可視化してくれる。その一つひとつのリアリティというか、唯一無二性にたちまち引き込まれてしまうので、たとえ6時間を超える長尺であっても、原監督のドキュメンタリーならば、私は始めから終わりまで一気に観てまったく飽きることがない。

なお、『ニッポン国VS泉南石綿村』が大阪府泉南のアスベスト訴訟の記録であったように、『水俣曼荼羅』は、水俣病の認定と補償をめぐって被害者の患者たちが「国」を相手取った訴訟を記録している。観客のわれわれは中立だろうか。むしろ患者や医者の姿に感情移入し、患者の訴訟団の前に立ちはだかる「国」を心中、敵視するのではないだろうか。しかし、日本が曲がりなりにも国民主権国である以上、政府の役人や大臣によって「体現」される「国」は、実は〈われわれの〉国家なのである。この居心地の悪い事実を忘れてはならないだろうと思う。

堀茂樹

フランス文学者、慶應義塾大学名誉教授