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ドキュメンタリストの鵜の眼鷹の眼

ドキュメンタリストの鵜の眼鷹の眼

自分の職業柄…ということもありますが、他の人が作ったドキュメンタリー作品を見る機会が多くあります。日本のもの、海外のもの、古典や若い人の作品etc。 そんな中に、私の問題意識とクロスする作品がありますが、それらを取り上げて、様々な角度から考察してみたいと考えています。 未だに"ドキュメンタリーとは何か?"と格闘中の私ですから、私自身が刺激を受けたい、と願って書きます。(原一男記)

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 「原一男 ゆきゆきて、シネマ 過激にトークを! 自由にバトルを!」第2回目。「ラスト・ナイツ」の紀里谷和明監督をゲストに第1回目を終え「未知の友と出会えた悦び」の余韻が残る中、さて第2回を誰にしようか? とアレコレ悩んだ。私も“人見知り”するタイプなので、誰でもいい、というわけにはいかない。この人だったら“多分”うまくいくだろう、という感触がないと決めきれない。3~4名の候補があがった。が、この人なら“私と合いそうだ”というところで判断がつきかねていた。そりゃそうだろ。一度も会ったことのない人に、合いそうかどうか? の決断をしろと迫っているわけだから難しいのである。

 いろいろ悩んで、塚本晋也監督にオファーをしようと決めた。最終的に決め手となったのは、紀里谷監督と同じく、自分の作品の上映を成功させるために“なりふり構わず”突っ走っている姿をメディアを通して、凄いなあ、よく頑張ってるなあ、と感じ取っていたこと。『野火』も人肉事件を扱っているし『ゆきゆきて、神軍』もしかりという“人肉つながり”(?)。『野火』は、当初超大作をと願っていたが出資者がつかず結局自主制作になった、ということ。私も自主制作派なので、その共感と、それらを全部プラスして塚本監督を選んだ。

 しかし、不安がないわけではなかった。塚本作品は『鉄男』のDVDを購入して、見て「凄いなあ」とその徹底したのめり込み具合に感心していた。『双生児』はリアルタイムで見ていたが、表現技術に“クセがあるなあ”と感じたくらいで波長が合わないかも、と感じていた。『KOTOKO』は宣伝文句を読んだだけで「あ、見たい!」と思い、即、Blu-rayを購入した。『野火』に関してはその時点でまだ見てなかったのだ。好意的な評価は伝わっていた。が『ゆきゆきて、神軍』と同じ“人肉事件”を扱っているということが、見ることをためらわせていた。見れば一言、言いたくなるだろう。何故か、触れたくないなあ、と思ったのだ。さらに、自主制作派の中には妙に自信過剰なヤツがいたりして、そういう輩とは口も聞きたくないと常々思っているので彼がそういうタイプだったら…? とその警戒心が解けたわけでもなかったから。私のスタッフが『野火』を見てないのに、塚本監督に決めていいんですか? と詰問調。まあ、見ていないという“ためらい”も含めて彼と話すしかないな、と覚悟していた。が全然見ないままトークに臨むわけはない。彼を選んだ以上『野火』は劇場で見なければ、と下高井戸シネマへ出向いた。さらに市川崑版も見る必要があるなと思い、市川版は2度、塚本版は計3度見た。他には『鉄男』を再び、『ヒルコ/妖怪ハンター』『東京フィスト』『バレット・バレエ』『双生児』『六月の蛇』『KOTOKO』のうち、2作品を新たに購入し、後は彼のオフィスから借りて見た。役者としてはNHK「カーネーション」は見ていた。そんなふうに集中して見ることで塚本作品がよく理解できた、というわけではない。逆に疑問点がたくさん出てくる。批判したいことも含めて、だ。それらの質問点を大ざっぱに整理して、いざ場に臨んだ。長すぎる前置きはこれくらいにして、さて、これからが本番だ。

    やり取りの詳細をここに再現はしないが、私の心の中に引っかかったこと(もちろん肯定的にだ)を中心に書き留めておきたい。私が放った質問の第1発目は、制作費のこと。今回の『野火」』は自主制作ということで、一体いくらかかったんだろうか? 当然知りたいではないか! 貧乏プロダクションで映画を作ってきた身にとっては、その金額を知ればお金を巡る苦労のレベルが分かるような気がするのだ。だが聞かれた方は、まあ“企業秘密”みたいなもの。だから聞かれたからとはいえ全てを答えてもらえるかどうか…。果たして、“うーん…ちょっと”と拒まれたのだが「『ゆきゆきて、神軍』の場合は、約5500万円くらいかかったんですよ」と言うと「ああ、こちらもそれぐらいかな…」と応じてくれた。たまたま父親が亡くなり、その遺産を…と。そうかあ、やっぱり! 自主制作と言えば耳あたりよく響くだろうか? 現実的には監督本人が個人的にかき集めることが多く、なかんづく家族を泣かせてしまうケースが多いのだが、彼もまた! 「近しい人たちから借りる時、必ず返すから、と実際に返してきたので信頼があって、また借りたいと頼んで、すんなり貸してもらって…」。ホントに、よく分かる、お金の苦労は。この話を聞いて「ああ、彼もオレたちと全く同じ苦労をしてきたんだ!」と一気に共感を抱き始めていた。

 塚本監督に最も聞きたかったことの中のひとつに、市川崑バージョンに関して拘りがあったかどうか! があった。客観的には塚本版はリメークだ。リメークの難しさは前作と比較されてしまうことにあると思うのだが、どう克服したかの質問の前に、まず葛藤があったのかどうか?

 市川監督の『野火』を始めて見たのは高校生の時。凄い傑作で、モノクロの画面がすごくて、高校生の時に作った作品をモノクロにしたくらい影響を受けて…。

 市川バージョンでは、ファーストカットが田村上等兵のほぼ、ド正面のアップから始まる。そして次ぎに指揮官のアップの切り返しが来て…という流れ。

 ですがあなたの場合は、やや斜めのポジションからですが、これは市川バージョンを意識して正面からを避けたんですか?

 実は、もうちょっと引いてたんです。というのは、田村上等兵の後ろに窓があって、窓外にジャングルの風景、バーッと光が溢れていて、ものすごい濃い緑の植物とかが見えていて、というつもりだったんですが、イマイチうまくいってなかったので編集の時に少しカット(トリミング)したんです。だからちょっと中途半端な感じになって…。

 市川バージョンでは、病院と軍指令部とを田村上等兵が往復しないんですが、あなたのは行ったり来たりしていますよね? これなんか市川バージョンがそうしているから、自分はそうしないぞ、っていう対抗意識があったわけですか?

 それは原作が、そうなってるからで。市川さんのは往復しないで済むようにセリフで言わせてますが、自分はセリフで言わせるのがどうも…。

 塚本監督は「カット割りを意識して映画を見ないんです」とハッキリ言った。これは重要なポイントだと思う。私はかなり意識するのだが。「ボクは観客として、いいなあ、と思いながらその作品を見る。現場では、その場で、どうカットを割っていこうかと考える」と。

 『野火』のポスターを始めて見たときにキャッチコピーに「何故、大地を地で汚すのか」とあって、へえ! 戦争映画で“地球環境を守る”的な視点、フレーズが強調されるとは珍しいなあと驚いたものだ。戦争を知らない世代が戦争を描く時代ってこういうふうになるのか! と新鮮な驚きだった。

 「まだ、映画化を思いついた最初の頃は、今までフィルムは16㎜で撮ってきたんですけど今度は35㎜でやろうと。あるいは70㎜で、緑の世界をキッチリと。原作を読んでても自然の描写が圧倒的で。イメージとしては真っ赤な花が咲き乱れてとか原色の鳥とかが飛び回っているとか、トロピカルな感じだったんです。実際にはチョット違ったんですけど。でもジャングルなんかは凄く濃い緑で…」

 なるほどなあ! 彼は自分自身が主人公の田村上等兵を演じる気持ちはなかったそうだ。どんな役者を考えていたんですか?

 最初は、小林薫とか。次は浅野忠信とか。それからたくさんの人に見てもらうためにジャニーズだったらいいかなあ、とか。

 実際のロケに当たっては、ミンダナオ島、沖縄、本土の埼玉、そしてハワイ、とロケ場所を移して撮影されている。資金が潤沢にあったら全編フィリピンロケで撮りたかったでしょ?

 多くの観客が印象に残るだろう大事なシーンは、最初にフィリピンでロケをしましたから。僕と最小のスタッフ、キャストでフィリピンへ行って、兵隊たちがたくさん出るシーンは経費の問題もあって沖縄でやって、爆破などの手がかかるシーンは国内の近場でやりました。最後に、もっと雄大な風景を求めてハワイへいきました。

 なるほどなあ、とつくづく感心した。お金があるから全篇、現地ロケを敢行する、という必要はないわけだ。イメージを壊さない限り、クソリアリズム路線で突っ張るのではなく、無駄なお金を使わない工夫をするのは映画制作の鉄則なのだ。各シーンをどこで撮れば、スタッフとキャストにかかる経費を抑えた上で、最大の効果をあげられるかという計算が緻密にできあがっているのに私は舌を巻いた。彼はもうヴェテランの域だ。私が作中、もっとも感動した風景ショットがある。ポスターにも使用されているのだが。画面手前の丘に立つ兵の後ろ姿、目の前には、茫洋と広がる俯瞰目に捉えた森、その向こうには山並みがガスに煙るように広がっている。何より、スケール感がうまく表現されていてとても気に入っていた。が、なんとこのショット、ミンダナオ島ではなく、ハワイなのだそうだ! リアルタイムで生放送を聞いてた人たちは、このエピソードをどう聞かれたのだろうか? 私だったらあくまでも、条件が悪かろうがクソリアリズム路線を主張して、何が何でも現地ロケをスタッフに強いただろうと思う。が彼は違った。あくまでもイメージ優先、なのである。彼が正しい! のである。精神が自由! なのだ。映画制作とはこうでなければ、ならない!

 さて、塚本作品に関して聞きたい最大のポイントは、彼の“手持ちカメラワーク”について、だ。塚本作品の多くが手持ちだが、私から見ると、その手持ちにも納得できるものとできないものがある。納得できる作品とは『六月の蛇』。これは激しい手持ちのブレの動きの中で、見せるべきものをキッチリ見せている。その長さは1秒の何分の1かの、ごく短い時間であるにも関わらず。うまい! と私は唸ったものだ。『野火』の場合は、どうか? 激しい戦闘シーン。敵が猛烈に激しい攻撃を仕掛けてくる。逆光の中、銃弾が雨嵐の如く降り注いでくる。そのシーンが、田村上等兵の主観として、手持ちのブレブレのカメラワークで撮られている。この場合、先の『六月の蛇』と違って、もう何が写っているかチラッとでも分からないくらい激しいブレた撮り方だ。命がけで逃げ惑っている時の主観だもの、もう何が何だから分からないくらいに逃げ惑っている必死さの表現の手持ちゆえ、という説明をすれば、これも理論上、説明はつく。だが他の作品の多くでは、なんと下手くそな手持ちなんだよ! と思ってしまったのだ。だからこそ、直接、本人に聞き質したかったのだ。

 ボク、フィックスの画って好きなんですよ。フィックスの時は、シンメトリーにカメラを据えてかっちり撮りたいと思うんです。手持ちの場合は、役者が芝居をしてて、微妙な動きの中で芝居が隠れてしまうときがある。その時に手持ちだと、スッと動くことでよく見える位置に入れる。これが三脚をつけていると、そうはいかない。芝居が一番よく見える、特等席で見たい、という欲求があるんですね。  塚本監督のこの答えを聞いて私は、瞬時に塚本作品のカメラワークの核心を理解できたと思った。私のお気に入りの『六月の蛇』の、手持ちの中にも一瞬キッチリ観客が認識できる撮り方も、作品によっては“なんて下手くそなカメラワークなんだ!”と呆れる手持ちワークにしても全部、当然のことながら監督としての計算の下に、なされていることなのである。つまり練達のテクニックである、ということに気づかされたわけである。まとめるなら、彼の手持ちカメラワークは、彼が映画制作の場で自由であるための絶対条件なのだ。

 1本目を作り、2本目を作り、さらに3本目を作り、と経験を重ねていくと、ほっといてもうまくなるものである。私は、うまくなることを必ずしも重要視していない。確かにうまくなって、つまり技術的には安定して表現を駆使しているのだが中身が深くないという作家、作品はザラにあるからだ。が、彼の作品は、段々うまくなっていってないなあ、という気がしたので、これも率直にぶつけてみた。あなたの作品は、普通なら段々とうまくなっていくものだけど、あなたのは、うまくなっていない。それは、うまくなることを拒否しているという、あなたが長年映画を作ってきての美学なんでしょうか? と。あまりのストレートな質問ゆえに、さすがの塚本監督も思わず苦笑という体だったが答えてくれた。

 毎回、作品ごとに、どう撮るか、どういう撮り方をするかを考えて撮りますねえ、と。

 サラッとさりげなく彼は答えたが、全くその通りだよなあと聞きながら思った。毎回、作品ごとの、その作品の持つテーマを、どう描くか? 手持ちカメラがカメラワークの軸だとして、その手持ちの微妙な動き方を、どう駆使するかを吟味し、検証し、選択するのだ。だから毎回、手持ちの動き方を変えて現場に臨むのだ。安易に、これまでに手慣れた手持ちの動き方を採用したわけではないのである。

 ここまで質問を重ねてきて、塚本映画の本質の理解に近づいてきたような気がし始めていた。四方田犬彦氏が「塚本晋也の映画はすべて、異形の者へと変身することの恐怖と恍惚を描いた映画である」と評論している。私に反論はない。その通りだなと思う。だが私は「塚本映画は、彼自身が根強く抱くコンプレックスの克服である」と考えるのだ。自らの内臓に自らの手でメスを持ち切開するが如くに、アレやコレやと克服する手段を夢想するわけだが、その夢想を主題にすることで様々な装いの作品が生まれる。そんな彼が、自分と似たような生き方をしている他者と出会う。例えば、Cocco。そして他者との共有できる質と他者であるがゆえの異質なものの内的葛藤が『KOTOKO』である。『バレット・バレエ』の主人公はなんと私でもあった。ああ、拳銃を持ちたいなあ、という武器への飢餓感は、私の場合は中学校の頃に一番強かった。今でいう“いじめっ子”が私に目を付けて何かと殴るのだ。喧嘩はからっきし弱い私は、ひたすら妄想の中で拳銃を入手してその虐めるやつに向かって幾度も発砲して殺したものだ。ボクシングの世界にのめり込む姿を描いた『東京フィスト』も、私もまた自分が喧嘩に強くなりたい、という飢餓感と通底する。塚本監督と会話を重ねながら、グングンと塚本作品が身近になっていく。これまで“食わず嫌い”だったところがあった塚本作品だが、それを取っ払ってみると、何のことはない! 私自身と共通している核がたくさんあるではないか! 実に嬉しくなってきた私である。

 自分の内臓を切開して血が滴るような痛みの中で映画を作ってきた塚本監督だが『野火』は、これまでの作品と趣がいささか違うように見えるのは、そんな自分をグローバルな場=この場合、戦争という状況…に放り込んで考えてみようとした映画だから、なのだと思う。

 私(たち)疾走プロ4作品は自主制作だが、自らの生き方を映画制作と重ねて追求してきたと思っている。私はドキュメンタリー、塚本監督はフィクション、という違いはあるが、自らの生き方を探るために映画を作るという態度は、私と全く同質であることを彼とのトークを通じて実感できた。2時間がアッという間に過ぎていったが、しみじみ幸福な時間だった。
(2015.12.25)
アメリカのドキュメンタリーを2本、続けて見た。「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」と「美術館を手玉にとった男」。いやあ、オモシロかった。

以前から感じていることなのだが、アメリカのドキュメンタリーは成熟しているなあ、と改めて今回も感じた。ドキュメンタリーは「人間を描くこと」が究極の課題(ドラマはもちろんのこと)であるが、2作品とも「人間という生き物の不可思議さと魅力」がキチンと描かれている。

「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」

写真なんか全然関わりのない一人の青年がたまたまオークションで大量のネガフィルムが入った収納ボックスを380ドルで落札した。収納ボックスの中に入っていた封筒の宛名に「VivianMaier」の名前を発見。ネット検索にかけ、ヒットしたのは83歳になる同姓同名の女性が亡くなった記事。
「死亡したVivian Maierは、シカゴに暮らしたフランス人であり、写真家の一面もあった」

やむなく彼はネットに彼女の写真をアップした。すると写真の評価が世界的規模に膨れ上がった。個展を開き写真集を出版。そして彼は本人を知る人たちを探し始めた。関係者がカメラに向かって語り始める。次第に明らかになるヴィヴィアン・マイヤーの人生。その展開が実にミステリアス!

乳母として働いていたこと。が、子ども好きと簡単に言えない面も。彼女から虐められたと証言する人もいるからだ。性格的にはかなり変わり者だったこと。生涯、独身だったこと。男性から虐待を受けたこともあるという。そんな彼女にとって生きがいの全てだったと言っていいスナップ写真を撮るという行為。

所々にインサートされる彼女の写真。これが、もうホントに素晴らしいのだ。彼女は街中で出逢うあらゆる人々を撮った。路上生活者や黒人などの弱者たち。毛皮を着て物質に恵まれているかに見える人々にもカメラの目を向けた。

当然、何故彼女は、このような人々に関心を持ち写真に撮ったのだろうか?という疑問が増幅する。写真を撮ることが彼女の人生にとってどのような意味を持っていたのだろうか? と。

謎が謎を呼び、見る側は人生の過酷さについて思いを巡らせる。

世界映画史上の偉大な名作「市民ケーン(1941)」は、新聞王として勇名を馳せた偉大な男の死から物語は始まる。この作品もまた、まず写真家として素晴らしい才能を持った女性が既に亡くなっていることを描き、そこからヒロインを巡る謎解きが始まる。

「市民ケーン」では“薔薇の蕾み”が明らかになって終わる。が、こちらは映画の中では“薔薇の蕾み”にあたるものは明らかにされない。それは観客に委ねられる。そのことが余韻となり、感銘がよりいっそう深くなる。

「美術館を手玉にとった男」

先の作品は故人を追ったものだが、こちらは生身を追った作品。

ヴィヴィアン・マイヤー同様、この作品の主人公、マーク・ランディスも、本人自らが世の中へ打ってでたわけでなく、“神の託宣”というべき第三者の手によって世にでるきっかけをつかんでいる。この第三者の存在もまた、映画がドラマチックな感動を与えている要素のひとつとして大きな意味を持っている。

マーク・ランディは幼少の頃から模写が好きだった。そして30年以上100点以上の贋作を制作し全米20州46の美術館へ寄贈した。ある日、当時、シンシナティ美術館の学芸員であったマシュー・レイニンガーが、贋作であると気付いた。そしてこのセンセーショナルな事件は「ニューヨークタイムズ」や「フィナンシャルタイムズ」などテレビをはじめとした全米のメディアが取り上げ、FBIも捜査に乗り出したが、彼は金銭を一銭も受け取っていなかったために犯罪にはならなかった。この事件に興味を抱いた制作者二人が謎の贋作画家の素顔に迫るドキュメンタリー映画を製作した。

何よりこの作品の強み、同時に面白さでもあるが、マーク・ランディの贋作を寄贈する行為を過去のものとして追うのではなくリアルタイムでフォローしていることである。犯罪ではないにしても反社会的行為を堂々とやってのける主人公を正面切って追うという出会いは、なかなかないものである。

この2本のアメリカン・ドキュメンタリー、決して奇を衒った作り方はしていない。ドラマの作法を引用している。

「ヴィヴィアン・マイヤー」は、先に「市民ケーン」を引用したが、“薔薇の蕾み”を追う、という方法を意識しなくてもごく自然にその方法を踏襲してサスペンスを生んでいる。「美術館を手玉に」も、主人公を問い詰める役割を持って“敵役”が登場して緊迫感を盛り上げている。

かつて劇映画とドキュメンタリーとを分けて考えるという見方が圧倒的だった時代は存在したが、今や劇映画もドキュメンタリーも同じだよ、という認識を大方の映画人たちが持っている。だからドキュメンタリー作品に劇映画の作法を導入しても何ら不思議はない。

もう一点。2作品とも主人公の生き方自体が素晴らしいのである。

ヴィヴィアン・マイヤーの決して幸福であるとは言いがたい彼女の生の現場で、たったひとつ自分の生の喜びを感じ取り、自己を肯定できる営みがスナップ写真を撮ること。自分が自分らしく生きるためにスナップ写真を撮る行為が絶対に必要だった。

マーク・ランディも、17歳の時に神経衰弱と診断されたこともあるというから、生き難さを抱きながら生きてきたであろう、その中で得意の贋作に没頭することで自らの生を肯定し得たのだろうと思う。映画の中で彼が診断書に記入してある病名を読み上げるシーンがある。

・妄想型統合失調症と精神障害
・パーソナリティ障害
・緊張型、もしくは著しい解体型症状
・支離滅裂
・不可解な思考 認知 会話 行動
・病理的に不適切な不信感、衝動的で害のある行動

この程度の“病”なら普通じゃないか! と思わず笑ってしまった。私は、アメリカという社会は相当に病んでいるだろうと思うのだが、その病んだ社会の中で表現という手段を確立し、己を見失わずに追求して生きている主人公の姿に激しく感動する。

その魅力ある生き方を主人公に据えて、撮る側のオーソドックスともいえる手法で描ききるプロの仕事があり、こうして傑作ドキュメンタリーが生まれていく。

ドキュメンタリーの魅力は主人公の生身がもつ魅力度に依存する。そしてその魅力を際立たせるためにスタッフの側に適切な手法があってこそ始めて傑作になり得る。

私が冒頭に書いた“アメリカのドキュメンタリーは成熟しているなあ”という意味は、病んだ社会でありながらも個人が自らの生をキチンと選び取り、生きる欲望を全うできているということ、それはまさに民主主義的価値観が確かに根付いている証である。

さらにそういう人物を取りあげる制作者が存在して、作品を評価する観客もまた存在するという健全さを、成熟というのである。翻ってニッポン国はどうなのだろう?

個が個として自らの生を率直に追求しているだろうか? 権力の悪と腐敗の構造を見抜く確かな目を持っているだろうか? 他者へのリスペクトを持ち、とりわけ弱者への惜しみない助力を提供できているだろうか?

そして作り手たちも、人間の魅力を描くべく、奇を衒うのではなく、最善最適な方法を持ち得ているだろうか?

ヒトとして自分は成熟している、確信を持って言えるであろうか?  と考え込んでしまう。
(2015年12月6日)

『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』(2013年/アメリカ/83分)
監督:ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル
出演:ヴィヴィアン・マイヤー、ジョン・マルーフ、ティム・ロス、ジョエル・マイロウィッツ、メアリー・エレン・マーク
配給:アルバトロス・フィルム
http://vivianmaier-movie.com/

『美術館を手玉にとった男』(2014年/アメリカ/89分)
監督:サム・カルマン、ジェニファー・グラウスマン
共同監督:マーク・ベッカー
音楽:ステファン・ウルリッヒ
出演:マーク・ランディス、マシュー・レイニンガー、アーロン・コーワン、ジョン・ギャッパー
配給:トレノバ
http://man-and-museum.com/
メディアゴンからの依頼で「ニコニコ生放送」で番組をやることになりました。何かやりたいことがあったらどうぞ、という誘い。

元来、ノリのいいタイプ。「よし、オモロイことをやろう!」と即、ノッた。「ゆきゆきて、シネマ」。メディアゴンがつけたタイトル。これだけじゃちょっと寂しい、てなことを考えて“過激にトークを!自由にバトルを!”というサブタイトルを加えた。

さて、何をやるか?

原則、映画の話を。ホストはもちろん、私。その時その時の話題の映画を取り上げ、監督に来ていただく。俳優の場合もあるだろう。時には映画を離れることもあるだろう。とにかく、私の方の関心の赴くまま、ゲストを選び、2時間、ジックリ話そうという狙いだ。

早速、記念すべき第1回目。ゲストは「ラスト・ナイツ」の紀里谷和明監督。

彼の方は、「何故、わたしを指名したのか?」と不安だったらしいが…もちろん私の方も候補は3〜4人あがってはいた。が最終的には紀里谷監督に決めた。

理由は…とにかくマスコミ媒体に出まくっていた!凄まじい量に。そこまで自作とはいえ、監督自らが宣伝に汗水垂らす監督は少ない、という理由で興味を持ったから。

日本人監督初のハリウッド作品ということで。私のスタッフが彼に関する記事をプリントアウトしたのだが、積み上げて10数センチ。まあ、膨大な数だが、その中で、「何とかという映像系の学校で学生相手に話していたのだが、あまりにどうでもいい質問に紀里谷監督が切れて怒鳴った」という記事を読んで、彼に興味を持った。若い頃、生意気だという理由で反感をかっていた…etc。それらの情報をまとめて、彼はオモシロそうだ、と思ったわけだ。まだある。

実は、彼の1作目「CASSHERN」と第2作目「GOEMON」の宣伝物のビジョアルを見たときに「なんと外連味(けれんみ・肯定的な意味です)のある作り手なんだ!」ととても印象に残っていたからだ。そんなアレコレの理由があって彼に決定した次第。

それから急いでAMAZONで「CASSHERN」「GOEMON」を買い求め、「ラスト・ナイツ」は映画館へと見に行った。集中して見るとその作り手の変化というものが実によく分かる。

彼の1作目「CASSHERN」は、ほとんどがCG。CGをバックに人間がちょとちょこ演技をしている感じ。第2作目「GOEMON」はCGが少し減って、役者の肉体が画面の主要部分を占めるようになる。

そして3作目「ラスト・ナイツ」はCGはほんの少しで全面的に役者の肉体でドラマを作り上げている。その変化が何を意味しているか?

観客論になるのだが、観客は映画に何を求めているのか?持論だが、観客にも当然だが欲望があり、映画をみることで観客自身が自らの生き方を問う、変えたい、変えるきっかけをつかみたい、いずれにしても、何かを激しく求めているのである。

だから作り手は、その期待に応える責務がある。その責務に答える表現とは、極端にいえばCGでは表現できないのだ。

やはり役者の肉体を通して、キチンと人間の感情を表現しなければ、表現しきれないはず。紀里谷監督のホップステップジャンプのこの3連作は、その課題のレベルアップしていくさまが如実に見てとれる。

「ラスト・ナイツ」に到っては、人間の感情を表現するという命題を強弱のリズムをつけつつ、細かく計算しながら全体を構成している。見事というほかない。監督として着実に腕をあげていっているのだ。

「CASSHERN」「GOEMON」はCGをふんだんに使い、外連味たっぷりの仕上げ故だろうと思うのだ。当時の日本映画には珍しかったからだ。

で、耳目をひき、ヒットしたという。が今回の「ラスト・ナイツ」はきっちり人間の感情を堂々と描いているのに、興行的には苦戦を強いられている。なんで? と思わず呻いてしまう。観客に見る目がないのか?

観客の質、感性が劣化しているのか?  呪いたくもなる。率直に彼に聞いた。「観客に向かって、お前ら見る目がないんか? と言いたくならない?」

彼の答え。「もっと、観客が圧倒されるくらいの凄いものを作るしかないですね」と。なかなか、こういう答えができる監督はいないと思うが、さておき、この答え、私は同感するのだ。

観客の欲望というものは、思っている以上に大きいのだ。その欲望に答えて満足させるには、作り手に求められるエネルギーは凄まじい質量を要求される。

この作品、5年間、精神を壊すほどに艱難辛苦があったというが、それでも、まだ足りない、ということになる。そのとおりなのだと思う。

その観客の欲望を凌駕してこそ傑作になり得る。言い換えれば観客の欲望が作家を育てる、とも言える。彼と話した感触では、彼は近々、傑作をものにするだろうなあ、という予感がある。

話は前後するが…せっかくの初の“ハリウッド作品”というからには、ハリウッド方式と我々が漠然と思っている“マスターショット方式”といわれる撮り方を紀里谷監督はどう消化して作り上げたかを詳しく聞いてみようと覚悟を決めて臨んだ。

膨大なマスメディアにも、その観点からの質問はなかったし。相当にしつこく質問を根掘り葉掘り繰り出したつもりだがイヤな顔ひとつせず答えてくれたが、彼は自分のスタイルを押し通したとのことで、感心した。常時2台のカメラで、撮影実数は50日。

この数字は、現場を知っている人は驚くに違いない。作品を見て、これだけの濃い内容を50日で撮りあげるなんて、と。現場での具体的な話を、ニコニコ生放送を見ている人が興味を持ってくれるかどうか不安だったが、どうなんだろう?

私は彼と話していて実に爽快だった。彼が率直に話してくれていると感じられたから。けっこう、彼にとっては“イヤ味チック”な質問にも、決してカッとなることなく、さらりと受け止めるという大人の対応。

いやあ、ホントに紀里谷監督と話せてよかったなあ、と感じている。再会を約束して別れたが、出会いの喜びを実感できる第1回トークでした!
(2015年12月1日)
 近頃、と言っても、もうかなり以前からだが…デモの現場に行くと、スチール、ムーヴィを問わず、カメラ片手の参加者のなんと多いことか!

 この人たちは撮った映像をどうするのだろうか? といつも思っていた。この作品、そんな現場で撮られた膨大な映像を集め、一つのメッセージの元に構成され命を吹き込まれて1本の映画作品として完成した。

 2012年夏、東京の脱原発運動に20万人が集まった。この場に集まったカメラマンたちの個々の出自は知らないし、もとより属している組織など知るよしもない。アマチュアかプロかの違いも知らない。が、この場を記録しておかなければと「使命感」、衝動に突き動かされて来たのだと思う。

 ひとりのカメラマンが撮れる範囲は目の前に起きている「こと」。これだけの多くの参加者が集う場の全体を知ろうとすれば当然多くのカメラマンが必要。が十分すぎるだけの数のカメラマンたちが存在しているのである。そして彼等が捉えた映像の質もなかなか見事なのである。

 生まれて初めてマイクを手にして大勢のデモ参加者に向かってスピーチすることが、いかに勇気を必要とすることか! その緊張感に震えながら発するメッセージを丸ごと捉えた映像、その人たちの発する言葉が聴く人の魂を深く深く打たずにはおかない。私も感動のあまり幾度も嗚咽した!

 福島に子どもと暮らす若い母親の涙ながらの訴え。愛する子どもたちに、故郷が放射能に覆われたのに解決できない己の力不足を詫びる。怒らなきゃいけないんですよ。人前にでるのは苦手なんです。でも言いたかったんです。これまで「豊かさ」を享受してきたことを顧みることが無かった「罪悪感」を切々と述べる年長者。

 自らの存在の意義を問わずにはおれない切実な言葉と表情は、「無名性」を承知で、だからこそと言うべきか、純粋であり得たカメラマンたちだからこそ記録したものだと思うのだ。これまでニッポン人は、怒りを声として表に出すことはなかった。だが、ここに来て叫び始めたのだ。そしてそれは燎原の火の如く広がりつつある。

 ドキュメンタリーにおける演出とは、人間=カメラの前の人間の感情=欲望を組織することである、という持論を私は展開しているが、この作品の見所は、このように個々のカメラマンたちの問題意識で撮られた映像を集めて整理し構成を立て1本の作品に仕立て上げたという発想に尽きる。

 デモという表現の場で吐露された大衆の欲望をすくい取りオルガナイザーとしての役割を果たしたのだ。この作品の監督は、映像のプロではなく歴史家、社会学者であり慶応義塾大学教授の小熊英二。映像のプロではない人が映像の作り方の革新をもたらしたのだ。ここに大きな意味、価値がある作品なのだ。

 いや、実は私も同じようなアイデアを抱いたことがあった。2011年の3・11、東日本大震災。この日起きた、ある意味で日本人の生き方、価値観を根底から揺さぶる出来事を、身近になったカメラ機器を持った多くの人たちが記録していた。その大量の映像はYouTubeにアップされ多くの人々が目にした。私もそのひとりだ。

 それらの映像の長さは数十秒から数分のものがもっとも多かったと思うが、どの映像を見ても凄まじい津波の破壊力が刻まれていて言葉もなく打ちのめされた。

 この膨大な映像を集めて編集し1本の作品として仕上げたらどうだろう?という思いが頭の中をよぎった。撮影したほとんどの人々はそこで暮らしている地元の人たちだろう、ほとんど本能的にこの出来事を記録したであろう。記録者であると同時に目撃者でもある。

 その人たちに短くていいからコメントをもらって映像プラス目撃談とすれば東日本大震災の全貌をより立体的に、記憶として刻み込めるだろう。

 今から思うと勇気と気力を振り絞ってやっておけば良かったかな、と悔やまれる。いや、こう書いたのは私に先見性があると言いたいわけではない。

 同じような発想をするヒトがそこかしこにいたとしても不思議はないであろうと言いたいのだ。つまり今後も同様な方法で作品を作るヒトが現れるだろうという予感がある。プロ、アマを問わず、にだ。

 今やカメラの性能はひと昔に比べて格段にアップし、高画質、高性能で、しかも低価格で手に入る時代。そんな技術の進化が表現の仕方に革新的な発展をもたらすことは映画史をひもとけばすぐ分かる。意志と情熱さえあれば誰でも“時代の目撃者”になれる。

 あとは個々の映像を集めてそのエッセンスを凝縮し、そして構成していく問題意識と映像に対する知識があれば作品として完成する。

 この作品が描いた現実を日本のマスメディアは無視した。大衆の欲望を見抜くセンス、覚悟を失ったマスコミは無用の長物、いや害悪ですらある。マスコミに見切りをつけた人々はネットを駆使して情報を広めた。既成のメディアが腐臭を放つなら棄てて新しいツールを使えばいい。

 そして2015年夏。戦争法案を民主主義を踏みにじってまで採決した、民意を聞かない安倍政権とその一党。あくまで採決阻止を訴えて国会周辺を埋め尽くした人々とその叫び。ネットで情報をキャッチしたであろう。そして多くのカメラマンたち。2012年の光景と地続きである。がその規模は確実に拡大している。

 この作品、ある意味で民主主義の危機という事態に、民主主義的な精神で捉えられた映像を民主主義的な方法で作り得た、先駆的な「希望のドキュメンタリー」である。
(2015年9月26日)

『首相官邸の前で』(2015年/日本/109分/日本語[英語字幕つき])
企画・製作・監督・英語字幕:小熊英二
撮影・編集:石崎俊一
音楽:ジンタらムータ
英語字幕校正:デーモン・ファリー
出演:菅直人 亀屋幸子 ヤシンタ・ヒン 吉田理佐 服部至道 ミサオ・レッドウルフ 木下茅 小田マサノリ ほか
配給:アップリンク
http://www.uplink.co.jp/kanteimae/
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