Docu×Docu ドキュメンタリーという生き方 - CINEMA塾
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今村監督と私
今村昌平監督 田原さんと知り合ったのが縁で、アルバイトという形だけど撮影助手として、東京12チャンネルの撮影部に出入りしていた時、そこで水野正樹というフリーのキャメラマンに会ったんだよね。どこか気が合うということもあって水野さんの助手として組むことが多かったんだ。水野さんは、大阪の写真専門学校を出て、早くから一本立ちして働いていたんだけれど、本格的に劇映画をやりたいということで、今村昌平監督を強引に口説いたんだそうな。それで、今村監督の現場へ入って鍛えた、というか鍛えられた人でね。仕事が終わってよく飲んだんだけど、飲むと、水野さんの話が、ほとんど今村監督の話。愛憎なんだよ。だから、ずっと後になって、今村さんに直接会うことになるんだけれど、その時は、もう知り合って随分長いような感じがあったね、今村さんに対して、ね。
 今村さんの現場には、水野さんが、姫田真左久キャメラマンに紹介してくれて、それで今村さんの現場に入った。『復讐するぱ我にあり』『ええじゃないか』の2本、今村さんの現場について、あるとき、今村さんの事務所に遊びに行った時、俺が、何か面白いドキュメンタリーをやりたいんだ、という話をしたんだよ。それじゃあ、って紹介してくれたのが奥崎謙三。
 それで、『ゆきゆきて、神軍』の撮影中のことなんだけど、奥崎さんから「殺人の場面を撮れ」と言われたことがあって、無様にも俺たちはうろたえてさ、悩みに悩んで浦山桐郎監督や今村昌平監督のところに相談に行ったわけだ。その時の今村さんの返事というのがね、ちょっと意外な感じがしたんだ。「奥崎が、例えば包丁で刺したとして、血の滴る包丁をカメラで撮ることが、それが本当に表現なのだろうか」「殺人の場面を実際に撮るのではなくて、奥崎謙三のそういう思いを映画の表現として考えていくのが芸術じゃないだろうか」って言われたわけだ。今村さんって人は、とにかく「鬼」とか、今村さんの通ったあとにはぺンぺン草も生えないとか、聞かされてたからね。そんなイメージと違って意外だったね。その時には、作家の結城昌治にも相談したんだけど、彼の方が過激でさ、千載一偶のチャンスだ、表現者としては、奥崎謙三に徹底的に付き合うべきだ、って言うんだよ。  今村さんの現場はねえ、とにかく楽しい。スタッフみんなの気持ちを、ぐっと高揚させておいてそのエネルギーをある種コントロールしながら、カメラを回すところまでもっていく。今村さんというのはやっぱり魅力的だと思うよね。
 俺、ヘンなことを憶えててね。俺は撮影助手だったから、撮影中は姫田キャメラのうしろにいるだろ。そうすると監督というのはキャメラの横に立つから、必然的に俺は今村さんの後ろにいることになるわけ。ある時、いつものように俺は今村さんの後ろで、つまり、背中をみていた。今でも鮮やかに憶えているだけど、今村さんの着ていた背広がほころんでいたんだよね。今村さんというのは自分の借財を背負って映画を作り続けてて、しかし、決して妥協はしない。その今村さんが、俺の目の前で号令をかけている、その肩の小さなほころびを見た瞬間に「ああ、いいなあ」って思ったんだ。「ああ、この人は尊敬できる」って。
平成8年3月吉日
今村昌平監督直筆
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