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ご無沙汰! ブログ再開デス! スカパーで「原一男特集」デス。
えーっ!!! こんなに長期間、ブログをサボってたの!!!と自分でも驚きだ。前回のブログの日付をみると、ナント9月30日ではないか! 4ヶ月半、ご無沙汰をしてしまってたわけだ。これはもうヒドイとしか言いようがない。


しかもだ、その半月前の9月14日付けのブログにだよ、※ヨシムラ管理人がせっかくブログをリニューアルしてくれたっていうのに、肝腎の私の原稿が2カ月以上も、ご無沙汰。申し訳ないコトデス。別に遊びほうけていたわけではないんだけどね…。水俣の取材やら疾走プロの仕事やら近江八幡の「遺言プロジェクト」やら目一杯、働いてたんですよ。でブログの原稿を書かねば、と思うものの、集中力が全く欠けてしまって、全く書けない状態がずーっと続いてというわけです。忙しすぎるのも問題だよなあ。でもあんなに暑かった猛暑も過ぎ、大学も後期が始まり、落ち着いてきて、何とか書けるかな、という環境になってきましたので、気を取り直して、再開!
と、長々言い訳をしておきながら、“舌の根”が乾かぬうちに、またまた長期間のズル。イカンなあ。

いえ、この4ヶ月半にしたって、別に怠けていたんじゃないですよ。
アスベストの取材・撮影を続けていたし、近江八幡の「遺言プロジェクト」も継続しているし、「水俣」の取材も・撮影も細々と続いてるし、“二足の草鞋”の「プロフェッサー」もキチンと職務を果たしてるし(それらのコトは稿を改めて報告します)。

ま、しようがない。過ぎた事は忘れて、気を取り直して、また書き始めよう。

ということで、久しぶりのブログの原稿。気を取り直すきっかけのようなコトでも、ということで、衛星劇場「スカパー(スカイパーフェクトテレビ)」で、この2月に、「原一男特集」として取り上げていただくことになったコトの報告をします。2月ですから、もうスタートしているわけです。でも、関心のある方は、まだ間に合いますから。是非、見て下さい。

「原一男特集」と言っても、全部で5作品です。ですから全部やります。このシリーズ、ロングインタビューが売りだそうで、私も収録していただいてます。
インタビューアーは、「キネマ旬報」の元編集長の植草さん。各作品毎に、アレコレと“秘話”を語っております。植草さん、さすがにインタビューのプロ、語り手に気持ちよく話させてくれる術をご存じで、インタビューは、楽しく語らせていただいて、感謝です。

収録が終わって、今度は、スカパーの情報誌とぴあの2誌が取材というか、情報を掲載するというので、これら雑誌用のインタビューも受けました。もちろん、こっちの方のインタビューもそつなくこなしたわけですが、写真撮影がありまして……これがシンドかった。というのは、その時、自分でも分かってたんですけどねえ、あとで送られてきた掲載誌を見て、ギョッ!とした次第。いや、ヒドイ写真なのです。イエイエ、カメラマンの腕のことじゃあないデスヨ。私自身の顔のコトです。“お岩さん”みたいに、瞼が垂れていて、怪奇映画のような形相なのです。

実はネ、こんなに瞼が腫れているのには、ワケがありまして……もう3年前になるでしょうか。例の花粉症ってやつにかかりまして。私の場合、目が腫れる、という症状が顕著でして。シーズンが終わっても、その瞼の腫れが引かないのです。つまり1年中、瞼が腫れてる状態が続くのです。

その写真撮影の時も、瞼が腫れてるなあ、という自覚はあったのです。ですが、メークで隠せる、というわけもなく、仕方ないじゃないですか、そのまま、撮影に臨んだわけです。で、どんなにヒドイ顔に写ってるんだろうとヒヤヒヤしながら、我が顔と対面するその時を待ってたわけですが、グラビアの、我が写真を見た瞬間、分かってたつもりですが「ア、やっぱり、ヒドイ顔だ」と愕然とした次第なのです。

ということは、ロングインタビューの映像も又、同じ衝撃が待ちかまえているってことになりますよねえ。憂鬱……デス。

内容の紹介なんかすっ飛んじゃってしまって、申し訳ないですが、本人にすれば、内容のコトなんかより、もっと重要なコトなのですよ。

まもなく、というより、もう既に花粉が飛ぶ季節の到来。瞼の腫れも年々ヒドクなってきてますが、めげずに“生きていかねば”と思っています。ブログの原稿も、何とか書き継いでいくつもり、デス。

我が作品に関心のある方は、「衛星劇場」のホームページをご覧になって下さい。
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コメント一覧
衛星放送は見られないのでひどい顔を見る事ができず残念です。
元気がなによりです。
監督協会(飯塚さんとの対談)のHPを教えてもらい読みました。1月末に軽い仕事をしましたが東京は遠いですね。
Post by 栗林 豊彦 at 2009/02/26 09:53
「ゆきゆきて神軍」、ついに見た。結婚の祝宴という場から、まがまがしく始まるのであり、まさにエンターテーメントといっていいドギュメンタリーである。
是非、是非、日・中・韓のナショナリストには見ていただきたい作品である。右も左もない、「戦争」だの、「平和」だのの枠組みは、とうに踏破されている。

奥崎謙三は、戦後23日後、ニューギニア「ウエワク残留隊」で行われた部下銃殺事件の真相を明らかにするために、元戦友を訪問しては、「ゆきゆきて神軍」とばかりに、刻々と追いつめていく。それは、〈約束=威嚇〉を繰り返す、捨て身の問責である。

このような過剰な糾弾でなければ、多分、嘘は暴かれなかったと、わかる。それは、不眠症者の夜が果てしなく続く狂気のなかの狂気というような追及であった。そのような歳月を経て‥‥、今日では、普通の人々の群れのなかで平凡に暮らす人間が、徐々に、徐々に、律儀に几帳面に縛り上げられていき、そうして、〈秘密〉が露になる。

「戦争」というものの正体ばかりではなく、人間の奥深くに眠る闇を見てしまった震撼力は、2日過ぎても3日過ぎても冷めやらぬ。
そこで、再び、私は見た。一回目は物語に圧倒されて筋を追ってしまったのだったが、今度はじっくりと観察できた。
奥崎謙三は、人間として蘇生するために全存在をかけて臨んでいるのだといい、時としてナルシシズムに酔いしれることもあるが、これを原一男は、徹底して醒めた視線で追い続けている。初回、「鷲の目をもってそれを見ている者」が奥崎謙三とみていたのだが、いや、奥崎は、深淵をつかみながら、たじろいでいるではないか!人間的な、あまりに人間的な、である。一方、原一男は、死の零のなかに墜落しようともカメラを放さないであろう。その執念が、この作品をたんなる英雄譚の幻滅に終わらせはしなかったのだと、あらためてわかり唖然!原一男はあっぱれである。私、熱狂的ファンになってしまいました。

何が面白いかといって、奥崎謙三と原一男が実はひそかに競合していたらしいことである。互いに、共犯者ではあるとしても二人三脚ではないのである。互いに互いを反映し、その二つの鏡が反射の対立という二重作用をもたらし、そうしてもたらされたズレと緊張が、観客の心をざらつかせる。はっきりと申し上げたい。この映画をみるには勇気が要る、と思う。しかし、時には、存在が攪拌されるという可笑しな目にあうのもいいんじゃないかな。
Post by 李喜鳳 at 2010/04/01 20:18
このドギュメンタリーには、じつは、つつましくユーモアが散りばめられている。それは「死の哲学」に笑いを衝突させたニーチェのように、である。
試しに、奥崎謙三を仮定ではあるが、役者としてみてみるのも一考ではないだろうか?
例えば、戦後38年も経過しているというのに奥崎謙三は、唐突に広島県の島本イセコさん(77才)を訪問して、あたかも昨日の今日でもあるかのように咽びつつ「おかあさん」とねぎらうのであるが‥‥二人で墓参し、いつのまにかほんまの泪をあふれるままに流すのである。帰途、照りつける陽を浴びて、もはやイセコさんは呆けたように酔うたように「岸壁の母」を口ずさむのだが。
ラストで、酷薄にも島本イセコさんの真新しいパスポートが大写しになる。果たして、奥崎謙三は「おかあさん」をほんとうにニューギニアに同伴するつもりだったのか?眉唾物では?と脳裏をよぎったとたんに、私は、笑っていた。
人の世は、面白くも、可笑しく、哀切であると、しみじみ考えさせられた数日間であった。
Post by 李喜鳳 at 2010/04/01 20:20
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